「異端の学者」「学会では低評価」 戦後の歴史学を一変させた網野善彦とはどんな人物だったのか?(レビュー)
1980年代以降に『無縁・公界・楽』や『異形の王権』などの著書で「日本中世史ブーム」を巻き起こし、「網野史観」を打ち立てたとも言われる歴史学者・網野善彦さん。多くの読者を獲得した一方で、「異端」のイメージを持たれることもあった。 そんな網野さんの没後20年を期に、その謦咳に接し、著作の解説も執筆する明治大学教授の清水克行氏が、イメージに反して「きわめてオーソドックス」であったという網野さんの研究を振り返り、当時のベストセラーであり今なお読み継がれる名著『歴史を考えるヒント』(新潮選書、2001年)から、網野さんの真の姿を紹介する。
清水克行・評「“異端の歴史家”の真実」
一九八〇年代からゼロ年代にかけて日本中世史ブームを巻き起こし、「日本」論や「日本人」論の脱構築を試みた歴史学者、網野善彦さん(一九二八~二〇〇四)が亡くなって、今年で二十年が経つという。このタイミングで、代表作『無縁・公界・楽』、『異形の王権』などを刊行している平凡社ライブラリーは没後二十年のフェアを展開し、岩波文庫には研究書『中世荘園の様相』、『日本中世の非農業民と天皇』が“新たな古典”として収められた。亡くなって二十年も経つ学者の著作が、これほど売れ続けるのは稀有なことだろう。 ただ、晩年のご活躍を学界の内側から見ていた者からすると、ここのところの網野さんの一般読書界での語られ方に、やや危ういものを感じるところがある。私自身、これまで何人もの一般の網野ファンの方から「網野さんって、学界では評価が低かったんですよね?」とか、「網野さんは研究者のなかでは“異端”な存在だったんですよね?」と尋ねられたことがある。そのつど私は「そんなことはありませんよ」と否定するのだが、そうした答えに多くの方々はなぜか夢が破られたような、少しガッカリした反応をなさる。たぶん彼らは“旧弊で排他的な学界”と、それに抗う“異端の歴史家”というイメージを勝手に網野さんに投影させて応援していたようなのだ(そこには、生前、ことあるごとに自分が学界の「落ちこぼれ」であると過度に卑下した網野さん自身にも少なからぬ責任があると思う)。 しかし、網野さんの場合、彼が提唱した「荘園公領制」という用語はしっかり歴史用語として定着して、今や教科書にも載っているし、東寺領荘園研究や様々な生業史など、網野さんが築いた基礎のうえに現在の研究があるものも少なくない。もちろん、その研究のすべてが肯定される研究者などいるはずもなく、いくら網野さんの見解でも、その後の研究の進展により評価が修正されているものはいくつもある。その意味では、網野さんは一般のイメージとは異なり、“異端”どころか、むしろ、きわめてオーソドックスな歴史学者なのだ。