「うつるから話しかけないで」クラスの友だちが急によそよそしくなった…ある障害を抱えた女性は「注文に時間がかかるカフェ」を開いた
小学2年の秋にあった授業参観まで、自分がみんなと違うなんて思ってもいなかった。けれど、その日を境に、クラスで一番仲の良かった友達の男の子が急によそよそしくなった。 【写真】有名ブランドにそっくり?「高知」の財布 つくった男性が不登校や発達障害の悩みを乗り越え、成功するまで
彼は私の机まで来て言った。「しゃべり方がうつるかもしれないから、話さない方がいいってお母さんに言われた」 当時は言われた意味が分からなかった。でも今思えば授業参観の日、彼のお母さんは私より先に私の障害に気付いたんだ。 話はあっという間に学校中に広がった。「話すとうつる」は「触ったらうつる」、「近づいたらうつる」と変わっていった。小学6年の時には、廊下を歩くと、どんなに人がいっぱいいても、私の前だけ人波がかき分けられ道ができた。 いつしか、話すこと自体を避けるようになっていた。「人と違う」とされた話し方に気付かれたくなかったからだ。私にとって吃音(きつおん)という障害は当時まだ隠したいものだった。 【記者が音声でも解説しています】 ▽まぶしく見えた帰り道のカフェ 奥村安莉沙さん(32)はカフェ店員に憧れていた19歳の時も、吃音を隠したい気持ちは変わっていなかった。飲み物を作って、カウンター越しにお客さんと会話する―。心の中ではそんなアルバイトを夢見たが、会話を避けていた自分には無理だと諦めていた。
実際に働いたのは、地元・相模原市の町工場。車の部品を組み立てる工程に会話は不要だった。同世代のバイトはいない。工場からの帰り道、働きたかったカフェの前を通ると、店内の照明がきらきらして見えた。 大学在学時の就職活動では、面接で自分の名字を言う段階でつまずいた。「お、お、お、お…」。持ち時間の2分が過ぎる。前に座っていた面接官が気まずそうな顔で「…次の方どうぞ」と遮った。 結局、200社以上に落ちた。吃音について、面接官が知っていたのは、採用してくれた訪問介護会社1社だけだった。 ▽「こんなカフェを日本で作る」 2016年、以前から興味があった語学留学のため、会社を辞めオーストラリアに渡った。24歳の時のことだ。語学学校の先生が勧めてきたのが現地のカフェでのアルバイト。障害がある人や移民などハンディのある人に社会経験を積んでほしいという考えのオーナーだった。 そこで、奥村さんは言語障害のある40代ぐらいのオーストラリア人の男性スタッフと出会った。言葉は一切話せず、コミュニケーション手段は身ぶりと手ぶりだけ。奥村さんより症状は重そうだった。