梅原大吾とスト2の出合い、ハマり方「尋常ではなかった」…明かされる幼少期の思い出
日本が世界に誇るプロゲーマーの第一人者、梅原大吾さん(43)。eスポーツのなかでも格闘ゲーム界のカリスマとして息の長い活躍を続けている。その原点は小学校に上がる前、かの有名な家庭用ゲーム機を「サプライズ」で手に入れたことだった。(読売中高生新聞編集室 星野達哉)
父の言葉は「世界一に」
「僕がゲームを始めるきっかけになったのは、七つ年齢の離れた姉の影響でした。5歳ぐらいのとき、クリスマスプレゼントにファミコンを買ってもらおうと、2人で父におねだりしました。当時、ファミコンは高価だったので、『きっと買ってくれないだろうな』と、ほとんど期待はしていませんでした。ところが、驚いたことに何も言わずに買ってくれたんです。人生初めてのサプライズでしたね。そして、初めてプレーしたソフトが『スーパーマリオブラザーズ』で、そのときの感動は今でも鮮明に覚えています。
父はゲームについては自由にやらせてくれたのですが、物心ついた頃から、繰り返し言われていたことがありました。『誰にも負けないものを持って、世界一になれ』って。子どもの頃は体が大きくて力も強かった。ガキ大将みたいな感じで、あまり先生の言うことを聞くタイプじゃなかったですね。当時はゲームをしてお金を稼いでいる人なんか全くいない時代なので、プロゲーマーになるという発想そのものがありませんでした。将来は世界一の『ケンカが強い人』とか『世の中を楽しませる面白い人』になれたらいいなと漠然(ばくぜん)と思っていました」
ゲームとの距離がグッと近づいたのは、小学5年生のとき。初めて目にした「アーケードゲーム」に衝撃を受けた。
「当時はゲームセンターにあるアーケードゲームがブームで、街の駄菓子(だがし)屋や書店などにも置いているところがありました。ある日、家族でレンタルビデオ店を訪れた時、たまたまそこにもあったんです。迫力満点のサウンドや鮮やかなグラフィックに引き込まれてしまって、『なんだこの面白そうなゲームは!!』と衝撃を受けました。その日はビデオを借りて帰ったものの、どうしてもあのゲームをプレーしてみたいという衝動が抑えられず、親に内緒でレンタルビデオ店に通うようになりました。