戦場カメラマン・渡部陽一が「日本はもはや特別ではない」と悟った瞬間
生きるための奪い合いが戦争の本質
日本にとって、今後の発展につながる入り口であり、同時に「見えにくい戦争」を生みかねない課題の一つは、外国からの難民や移民をどのように受け入れていくか、です。戦争地域からの難民だけではなく、留学生やビジネスでやってきた人たちも含めて、どのように向き合い、多様性を迎え入れていくかが、今、問われています。 これまで日本は、世界から人を受け入れて、自分たちのビジネスもグローバルに展開していくことが苦手だと言われてきました。実際には在日外国人は相当数いるのですが、日本のこれまでの慣習を押しつけてしまう、異なるものを排除して新しい芽を摘んでしまうといった面はまだまだ現実に多く見られるように思います。 そうしたクローズドな国民性は、なかなか海外マーケットを巻き込んだビッグビジネスが育たない要因としても指摘されています。国内のマーケットを意識するあまり、多くのビジネスがガラパゴス化した結果、現在の円安の問題が起きている。 その中で、ダイバーシティ、多様性といったキーワードが国内でも挙がってきました。これからは日本だけで閉じずに、オープンマインドで海外の人たちを受け入れ、うまく協力し合いながら生きていくことが日本の力にもなる。 一方で、これまでとは異なるオープンな関わり合いをするとなると、生きるための奪い合いが加速していきかねない。「なぜ移民に仕事を奪われるのか」というように、争いにつながっていく可能性はゼロではありません。 難民についても、不平等の問題がつきまといます。日本はウクライナから避難してきた人々を実に温かく迎え入れました。ウクライナ避難民に対する支援は、たびたびメディアで明るく報道されている。 一方で、アフガニスタン、シリア、スーダンといった国からの難民に対しての眼差しはまったく違う。実際にはほとんど受け入れておらず、「どうしてウクライナだけ特別扱いしているんだ」と多くの国から批判が出ているのです。 移民や難民の受け入れには、ただオープンにみんなを受け入れようといったポジティブな面があるだけではありません。不平等に見えるさまざまな規制の裏には、国の利益や外交関係、欧米諸国とのつながりといったさまざまな視点が絡み合っています。 その中でも、今回のウクライナからの避難民の受け入れが、一歩、二歩とステージを上げて、日本が寛容な態度で、また多様性を重んじながらさまざまな国の人たちと共に生きていくきっかけとなることを願っています。 グローバル化や移民の問題。いずれも現代ならではの課題のように見えますが、そこで起こりうる争いの構造はシンプルで原始的です。 生きるために奪うか、奪われるか。これがあらゆる戦争の根底にあります。