<韓国24年>45年ぶり「非常戒厳」宣言 尹大統領の弾劾訴追で幕切れ
【ソウル聯合ニュース】韓国の尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は12月3日午後10時23分、北朝鮮に追従する勢力を撲滅し、自由憲政秩序を守るためとして「非常戒厳」を宣言した。非常戒厳の宣言は1979年10月の朴正熙(パク・チョンヒ)大統領暗殺事件を受けて発令されて以来、45年ぶりのことだった。 戒厳司令部は直ちに「布告令第1号」を発表。一切の政治活動を禁止するとともに言論・出版を統制するとし、医療現場を離脱した医療関係者に復帰を命じ、違反した者は戒厳法に従い処罰すると明らかにした。 国会議員たちは戒厳解除を要求するため国会に集まった。憲法で定められた戒厳解除要求の条件である「在籍議員の過半数の賛成」を満たすためには、少なくとも151人の国会議員が本会議場に集まる必要があった。 戒厳軍は国会本庁への進入を試みたが、国会関係者や議員秘書、市民らによって阻止された。 国会本会議は4日午前0時49分に開会し、午前1時1分に出席議員190人全員の賛成で非常戒厳解除要求案が可決された。 これを受け、戒厳軍は国会から撤収した。 尹大統領は宣言からわずか6時間後の午前4時27分、2回目の談話を発表して非常戒厳を解除した。 4日以降も事態の後遺症は続いた。尹大統領に非常戒厳を進言したとされる金龍顕(キム・ヨンヒョン)前国防部長官は緊急逮捕され、尹大統領も内乱罪の被疑者として立件され、出国禁止になった。 検察と警察、政府高官らの不正を捜査する高位公職者犯罪捜査処は先を争って捜査に乗り出した。 非常戒厳宣言当時の尹大統領と閣僚、軍首脳部の行動も次々と明らかになった。 宣言の前に開かれた閣議では出席した閣僚の大半が反対意見を表明したが、尹大統領は聞き入れず、わずか5分で終了した。 尹大統領から直接指示を受けた軍・情報機関の関係者による証言も相次いだ。 情報機関、国家情報院のホン・ジャンウォン前第1次長は、宣言の直後に尹大統領から電話があり「全員捕まえて整理しろ」と指示されたと主張した。 郭種根(クァク・ジョングン)陸軍特殊戦司令官は国会に出席し、尹大統領が「(解除要求案の)採決に必要な人数をまだ満たしていないようだ。早くドアを壊して中の議員を引きずり出せ」と指示したと証言した。 野党側は、尹大統領に対する弾劾訴追案を国会に提出した。 与党「国民の力」の内部では、尹大統領に近い「親尹派」と韓東勲(ハン・ドンフン)代表に近い「親韓派」が対立。弾劾訴追案を巡って意見を一本化することができなかった。 親尹派を中心に弾劾に反対する意見が優勢だったが、一部では賛成する声も上がった。 尹大統領は弾劾訴追案の採決を7時間後に控えた7日午前10時に3回目の談話を発表し、「任期を含め、今後の政局安定策はわが党(与党)に一任する」と述べた。 与党は尹大統領が戒厳宣言について謝罪し、一線から退くことを受け入れ、弾劾訴追案の採決には出席しなかった。これに従わず採決に出席した与党議員は、安哲秀(アン・チョルス)議員など3人にとどまった。 最初の弾劾訴追案は定足数不足で成立せず、自動的に廃案となった。 野党側は2回目の弾劾訴追案を提出し、与党は弾劾の代わりに「秩序ある早期退陣」を打ち出した。 与党は尹大統領に対し「2月退陣・4月大統領選」、または「3月退陣・5月大統領選」との案を提案した。 しかし、尹大統領は3回目の談話の5日後に発表した談話で「私を弾劾しようが、捜査しようがこれに堂々と立ち向かう」と述べ、国会で弾劾案が可決された場合は憲法裁判所の判断を仰ぐ姿勢を示した。 尹大統領のこの4回目の談話は、弾劾に賛成する世論をあおる結果を招いた。 韓代表は、尹大統領が「任期などの問題を党に一任するという国民への約束を破った」とし、「弾劾で大統領の職務を停止させることが問題を解決する唯一の方法」と述べた。 国民の力は2回目の採決に出席し、弾劾訴追案は14日、在籍議員300人のうち3分の2を上回る204人が賛成して可決された。 禹元植(ウ・ウォンシク)国会議長が署名した議決書はこの日午後7時24分に大統領室に伝達され、同時刻から尹大統領の権限が停止した。 45年ぶりの非常戒厳宣言は、このようにして幕を閉じた。尹大統領は宣言から11日後に全ての権限を手放し、内乱容疑の捜査と憲法裁判所の弾劾審判を待つことになった。
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