プロGKからフォトグラファーへ 福村香奈絵の鮮やかな転身の理由「アルバイトを掛け持ちして、独学で…」
ゴールキーパーとして女子サッカーのトップリーグでプレーし、スペインでプロ経験もある福村香奈絵さんは、2021年、25歳の時に引退を決断。憧れだったフォトグラファーの道に進んだ。アルバイトで生計を立てながら独学でカメラの技術を学び、現在はスポーツを中心にさまざまな現場で活動の幅を広げている。トップアスリートから鮮やかに転身した背景と、その転機に迫った。
【GKとして歩んだ18年のキャリア。スペイン挑戦で「人間的に変わった」】
―――福村さんは現役時代、ゴールキーパーとして18年のキャリアを送りました。GKのどんなところに魅力を感じたのですか? 福村 小学校の頃は少年団でプレーしていたのですが、チームメートのGKが川崎市の選抜に入っていたので、「GKはかっこいいし走らなくていいんだ」と思ったのが最初のきっかけでした。近隣には中野島FCという、フロンターレやマリノスのジュニアユースに進むような選手たちがいく全国レベルのチームがあったので、ハイレベルな試合で男子のすごいシュートをいっぱい受けて、フィールドプレーヤーよりも断然楽しいと思っていました。 ―――その後は常盤木学園高等学校を経て、アルビレックス新潟レディースで5シーズンプレーした後、2019年にスペインのリーグに挑戦しました。それぞれ、どんな転機があったのですか? 福村 常盤木学園高校では上下関係が逆転していて、敬語は禁止だし、ボール磨きやグラウンド整備などを3年生が率先してやらなければいけませんでした。その上で、ピッチでは年齢関係なく競争することが求められたので、そういう環境で、サッカーよりも人として大切なことを教えてもらいました。新潟では先発で出場できたシーズンが2年半ぐらいあったのですが、平尾知佳選手(現なでしこジャパン)が加入した最後のシーズンはサブに回りました。当時の監督とはあまりうまくいかなくて、シーズン中に引退が頭をよぎったんです。ただ、社会人1年目の年で雇用先にもお世話になっていたので、最後のシーズンは戦い抜くと決めて、中学時代からの仲間に相談したら「まだやめるのはもったいないから、海外はどう?」と声をかけてくれて。そこで心が動いたのが、スペインに挑戦したきっかけでした。 ―――言葉も文化も異なる環境に飛び込むことに躊躇はなかったですか? 福村 そうでもないんですよ。もともと根暗で、人と活発にコミュニケーションを取るようなタイプじゃなかったんです。だから、新潟でサッカーをやめるかどうか悩んだ時は、毎日帰りの車で自然に涙がこぼれてくるほどメンタルが落ち込んでしまって。海外にいくならプロの条件で、無理ならやめる覚悟でチームを探しました。そういう局面を乗り越えたときに、いい意味で頭のネジが1本外れた感じがしたんです。一度すべてを捨てたことで、枷(かせ)が外れたような感覚でした。 ―――スペインでは2つのチームで1シーズンずつプレーしましたが、どんなことが印象に残っていますか? 福村 人間的に変わりましたね。1シーズン目(2019-2020)はコロナ禍だったので、ロックダウンの影響でほとんど外にも出られなかったんです。その中で、外出した際に人種差別的な言葉を浴びせられて。当時の自分にとってはショックなことや許し難い経験もしましたが、「いろんな人がいるよな」と考えられるようになったんです。日本との文化的な側面の違いも含めて、考え方や価値観の引き出しは増えたと思います。