プロGKからフォトグラファーへ 福村香奈絵の鮮やかな転身の理由「アルバイトを掛け持ちして、独学で…」
【25歳で引退決断。憧れたフォトグラファーの道】
―――2020-21シーズンに引退を決断しましたが、当時25歳の若さで、未練はなかったですか? 福村 新潟時代に一度引退を考えてから海外でプロになったので、それからは一年一年、翌シーズンに自分がサッカーをしているイメージが湧かなかったらそれがやめ時だと感じていたんです。だから未練はありませんでした。 ―――フォトグラファーの道に進むことは、その時から決めていたんですか? 福村 まだ決めていなかったです。ただ、一人旅が好きなので、GoProと携帯を持っていろんな場所に行った時に、「カメラで撮ったらきれいだろうな」と思いましたし、アスリートなどの人物ドキュメンタリーが好きでした。スペインにいた時に、日本人のチームメートがお世話になっているフォトグラファーの方と知り合って、「こんな仕事ができたら楽しそうだな」と憧れたのが一つのきっかけでした。でも、それを仕事にできるとは思っていませんでしたね。 ―――次の仕事を決めずに、サッカーをやめて生活していくのは大変だったのでは? 福村 それは本当に、やばかったです(笑)。スペイン時代はほぼ貯金ゼロの状態で、2年目は年収も低くて交通費も出なかったので、悩んだ末にスポンサーになってくれる方を探したんです。選手時代にいろんな方をご紹介いただく機会があったので、そういう方々に片っ端から自分の状況をお伝えしたら、ありがたいことにサポートしてくださる方がいて。それでも、選手時代より生活の水準はかなり低くなりました。
【カメラのスキルは独学で。アルバイトで貯めたお金を機材に投資した】
―――選手時代に築いた人脈も生きたんですね。その後、どうやってフォトグラファーになったのですか? 福村 「フォトグラファーになろう」と決心してから、まず当時のわずかな貯金の中で一番いいカメラを購入したんです。ただ、ボディを購入した後に、レンズや写真を編集するパソコンが必要なことに気づいて(苦笑)。仕事にするためにはサブ機や照明のライトも必要なので、一時期は朝から晩までずっとアルバイトをしていました。 ―――どんなアルバイトを? 福村:早朝に運送会社の仕分け、昼はカメラの勉強、夕方から終電までお寿司屋さんで働きました。1日空いている日は派遣の仕事をして、お金が貯まったらすぐに機材に投資しました。 ―――タフですね! カメラのスキルはどうやって学んだのですか? 福村 独学です。今でもそれが正解だとは思いませんが、今はちゃんと仕事をいただけるようになりました。もちろん、専門学校に通ってスタジオで下積みをした方々に比べたら知識は全然及ばないのですが、最初からそういう部分で勝負できないことはわかっていたので、自分の得意なこと、何が必要とされているかを考えて、いろんな人に「カメラマンになるので、仕事はないですか?」と声をかけました。まだなっていないのに(笑)。 ―――度胸がありますね(笑)。どんなふうに仕事が広がっていったんですか? 福村 仕事依頼サイトのアシスタント募集の欄に応募したら、なんと最初の現場がNHKの「鎌倉殿の13人」の仕事だったんです。それで、待ち時間にNHKの朝ドラを手がけているプロデューサーの方とお話しする機会があって、カメラの仕事を探していることを伝えたら、彼が個人で手伝っているアイスホッケーのチームを紹介してくださって。それが最初の現場でした。そうやって示せる実績が増えていき、今の仕事につながっています。 ――――― 取材=松原渓 撮影=須田康暉 ―――――
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