ピエール=オーギュスト・ルノワール『舟遊びをする人々の昼食』【中野京子と名画を読み解く】
クロワッサン1127号より、連載「中野京子と名画を読み解く 美味しい食卓」がスタート! 記念すべきその第1話を全文公開します。
動物にとってもっとも重要なのは、「種の保存」と「生命の維持」だ。前者のためにはセックスが、後者のためには摂食が必要になる。だからこそそれが満たされた時には――おそらくは神の配慮により――強烈な快感を覚える仕組みになっている。人間も同じ。 古来、画家たちはこの二つのジャンル、性と食の作品を延々と描き続けてきた。前者においては、性愛が引き起こすさまざまなドラマや、男女問わず美しい肉体そのものを。後者においては、本能のまま貪る姿を始めとして、食を芸術の域へと高めた人間の知恵にいたるまで、ありとあらゆる「もの食う人」のシーンを。 本連載では、飲食する人を通して見えてくる時代や文化、歴史などにも触れてゆきたい。
まずはフランス印象派を代表する一人、ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841~1919)の『舟遊びをする人々の昼食』。 ここはパリから西へ十キロほどの郊外、アンプレッショニスト島にあるレストラン「メゾン・フルネーズ」で、ルノワール自身、常連客だった。画面からは食後の満腹感や多幸感が伝わってきそうだ。 夏の明るい陽射し。心地良い川風。ベランダ越しにはボートや白い帆を張ったヨットが見える。この時代のセーヌ川は格好の水泳場だったから泳ぎを楽しむ人も多かったが、ここからは見えない。 ちなみに水質汚染がひどくなって遊泳禁止となるのは、およそ四十年後の一九二三年だ。今回のパリ五輪では、トライアスロンの選手がセーヌ川を泳がせられてひどい目にあったと騒がれた。パリの下水道システムを根本的に変えない限り、一時的に浄化しても大雨になるたび今後もセーヌ川は、夜だけ美しい川のままだろう。 ルノワールの生きた時代は、ナポレオン三世のパリ大改造とその恩恵による庶民のレジャー拡大期である。それまでは少し遠出するだけで高額の馬車代がかかったが、今や鉄道網が発達し、小間使いのような低賃金労働者にも払える運賃で、かなりの距離でも日帰りができた。人々は気軽に郊外へ遊びに行けるようになり、そうなるとかつては何もなかった田舎がレストランやダンスホールを建て、ボート乗り場を整備するようになって、レジャーの場としての整備がいっそう進んだ。 本作の舞台もそうしたスポットの一つである。 テーブルに集うのは、お針子や傘工場の女工、サーカスのぶらんこ乗りや売れない女優といった、いわゆる「娼婦予備軍」と呼ばれる、貧しいがコケティッシュで愛らしい娘たち。男らの誘いを受けて駆け引きする様子は、すでにもう娼婦に近い。 前景テーブルの両端に、麦藁帽子をかぶった男が二人いる。一人は柵に寄りかかり、一人は椅子の前後を逆にして馬乗りで煙草を吸う。剥き出しの逞しい腕から、ボートマン(プロのボート漕ぎ)とわかる。客をボートに乗せて、中州のピクニック場や別の行楽地へ運ぶ仕事だ。時にはこうして乗客の女性から招かれてランチの御相伴にあずかることもあったし、また時には人けの無い場所で、性の相手もしたという。 彼らのテーブルを見てみよう。 もう料理の皿は片付けられ、あるのはデザートの果物とアルコールだけだ。にもかかわらず雑然と感じられるのは、右端のボートマンが逆座りの邪魔だとばかり、白いテーブルクロスを無造作にまくり上げたせいだ。行儀の悪さが示される。 そのクロスの上に、直に茶ブドウが置かれている。フランス人がパン皿を使わないこと(固いパン自体が皿代わりだった時代の名残り)はよく知られているが、この時代は果物用の皿も使わなかったらしい。ちなみに欧米人は一般にブドウは皮ごと種ごと食べる。 茶ブドウのすぐそばに、果物用の白い高杯がある。そこには茶ブドウと黒ブドウ、それと西洋梨らしきものが(ルノワールの筆致が荒いので、形態が判然としない)盛り付けられている。 彼らは果物には関心を示さず、もっぱらアルコールに専念しているようだ。酒瓶が四本と、テーブル用の小さな酒入り木樽まである。立ち上がって席から離れた髭のボートマンは、飲み過ぎて少し風に当たろうとしているのかもしれない。 その手前に座る女性は、テーブルに犬を抱き上げてキスしている。酔いがまわっての行為だろうか。フランスワインといえば赤ワインなので、グラスには赤い色が散見されるが、彼女の右肘のところに置かれたグラスは、薄い黄緑がかって見えなくもない。しかもその細長いグラスの前には小さなグラスが添えられ、砂糖らしき白い塊を載せたスプーンがある。となればこれはアブサンかもしれない。 アブサンの典型的飲み方は、いくつも孔の空いたアブサン・スプーンに角砂糖を載せ、そこへ少しずつアブサンを垂らしてゆくというものだった。今のアブサンと違い、当時のものはアルコール度数七十パーセントの上、麻薬まで混じっていたので「悪魔の酒」の異名を取っていた。もし彼女が今回初めて飲んだのなら、中毒にならないことを祈りたい。 本作のモデルをつとめたのはルノワールの友人たちなので、一見、仲間でボート遊び後の楽しい昼食と見えるが、現実のこうした場所はかなりいかがわしいものだった。もっともそれは現代日本人の感覚に過ぎず、ルノワール自身はこうした状況にいっさい疑問を抱いてはいなかった。このレストランを気に入っていたのも、ぴちぴちした若い娘たちがおおぜいいたからなのだ。 女は文字など読めなくていい、読めない女のほうが好きだ、と言っていた画家らしい「幸せな」絵。