批判の声殺到の平野歩夢の2本目はミスジャッジだったのか…最終的に審判を救った歴史的な逆転金メダル
1998年の長野オリンピックで男子ハーフパイプに出場し、テレビ解説を担当していた渡辺伸一さんも驚きを隠さず、「スウィッチバックサイドがなかったからではないか」と中継の中で一つの可能性を示唆した。スノーボードの回転には、通常のスタンスからのフロントサイド(お腹側から回転)、バックサイド(背中側から回転)に加え、逆スタンス(スウィッチスタンス)からのフロントサイド、バックサイドという4方向のバリエーションがある。ジェームズが4方向から技を出していたのに対し、平野歩夢にはスウィッチバックサイドからの技がなかったというわけだ。 また、「バックサイド(グーフィーの平野歩夢の場合、パイプの下から見て左側の壁)で着地がずれたと判断されたのでは」という話も聞いたが、あそこまで点が抑えられた説明にはならず、現地ではまたジャッジミスか、との声も飛んだよう。 仮にその2つが理由だったとしよう。それでも、世界のコンテストシーンで初めてトリプルコーク1440をメイクし、しかも最後までルーティンを滑りきった評価としてはありえないくらい低い。平野歩夢も終わってからのテレビインタビューで、「2本目の点数とか、納得いってなかった」と不満を口にしており、これで負けていたら、また、大会に対する批判が殺到していたのではないか。 ただ、その悔しさを、平野歩夢は次のランへの原動力に変えた。その裏には、門外漢とみなされながらも、スケートボードで夏のオリンピックに出場してみせたメンタルの強さ。また、東京五輪の開催が1年遅れたことから、半年で北京五輪に間に合わせるという、常識では考えられないスケジュールを克服した強さが、透けて見える。 2本目と同じルーティンで臨んだ3本目。ドロップ・インすると前出のリチャーズは中立の立場も忘れ、「アユム、やつらに見せてやれ!」と絶叫したが、平野歩夢は、3本目で一番高い5m50cmの地点でトリプルコーク1440を決めただけでなく、それぞれの高さ、技の精度においてレベルを一段引き上げ、右手を突き上げたのだった。 「怒りが自分の中でうまく最後、表現できた」 表彰式が終わってからそう振り返った平野歩夢。 その怒りは、審判まで救った。 さて今後、念願のタイトルを獲得した平野歩夢はどんな道を歩むのか。 報道によると、メダリスト会見で、平野歩夢は「終わったばかりで、これからどうしていくか考え辛いし想像し辛い。まずはゆっくり落ち着いて、これからも自分だけのチャレンジを追っていければと思う。それがどういう道のりになるのかは、自分自身と向き合いながら考えていきたい」と語った。 9位に終わった弟の平野海祝は、「また4年後もここに立って、兄ちゃんと一緒にメダルを取って、スノーボードを盛り上げたい」と話したが、4年後のミラノ・コルティナで五輪連覇を狙うのか、あるいは、多くのライダーがそうであったようにコンテストシーンを離れ、バックカントリーなどで撮影した映像を作品として残す世界へ軸足を移すのか。 金メダルを取ったことで束縛から解放され、平野歩夢には選択する権利が生まれたといえるのかもしれない。 (文責・丹羽政善/米国在住スポーツライター)