望む看取りができなかった…家族の後悔 「仏はそんなにせこくない」 身近な人を喪う苦しさの理由
コントロールできない「死」の恐怖
作家・浅生鴨さん(MC):「死」に関しては、家族で話し合おうという「人生会議」が話題になりましたよね。その通りにできないとは思うんですけれども、そこで希望を知っておくというのは大事な気がしますね。 玉置さん:アドバンスケアプランニング「ACP」って言ったりするんですけど、「人生会議」を医療の現場はほぼ必ずと言っていいぐらいやってますね。 特に緩和ケア病棟だったら、入院なさったときにどこまでやるかを十分に聞いているし、介護の現場でも、ケアマネさんたちがどこまでどういうふうにやりますかっていうのをね、決めていく方向になってます。 ただ、人生会議は「1回話し合って決めましたよね」というものではなく、「やり直すことが必要だよね」と思うわけです。 「何もしないでほしい」と思っていたけれど、だんだん身体の調子が悪くなってくると、「もうちょっとできることないですか」と考えが変わることもあるわけです。 だから、人生会議は人生のうちで1回やればいいわけじゃなくて、どれぐらいの頻度でやりかえていく必要があるんだろうか、っていうのが私達が考えているところです。 緩和ケアだと、どんどん体の調子が変わっていってしまうのでね、1週間に1回ぐらいやった方がいいんじゃないかっていうぐらい、お考えも変わっていくわけですよ。 浅生さん:そうか。人間っていうのは、身体が変われば気持ちも変わる。一貫してずっと同じ気持ちでいられるわけじゃないんですよね。 玉置さん:だから皆さんも、人生会議でお母様やお父様が言ったことが、「それで決まりだね」って思われない方がいいと思います。相手の気持ちも、私の気持ちも変わるんです。 変わっていくけど、「今とりあえず確認取っただけ」という、もう少し軽く考えていただいた方がいいのかなっていう感じがします。 そうじゃないと変わることが許されず、「あの時、何もしないって言ったじゃない」みたいな話になっちゃうと、双方苦しいのでね。