「幻の戦車」を求めて 男たちはなぜ湖底を探すのか?
「ポール・アレンのようにはなれなかった」
田所記者は校閲部に異動する内示が出たとき、中日新聞を退社して「幻の戦車」の引き揚げ運動を継続することも考えたが、断念した。彼は2人の子どもの父親だったからだ。 「新聞社を辞めるのは、実際には難しいですよ。転職すれば明らかに年収は下がる。フリーになっても、東京ならともかく、浜松では仕事はない。当時、上の子が中学2年生で高校受験を控えていたし、下の子は小学6年生だった。これからの学費のことを考えると、中日新聞を離れることはできなかった。2015年3月に、フィリピン沖の海底で戦艦武蔵を見つけたポール・アレンさんは何兆円という資産を持っていて、自分の巨大ヨットや探査船を持っているから武蔵を見つけることができた。でも、僕にはそんなお金はなかった」 田所記者はそう言って、ため息をついた。2012年以降の中村さんが率いる第2次プロジェクトが、「亡き父親の恩に報いる」ためという個人的な理由がモチベーションになったのは対照的に、田所記者は戦車プロジェクトを続けることで、息子たちの人生に悪影響が出るのを恐れて身を引いたのだ。 同じ「幻の戦車」をめぐる2つのプロジェクトは、中心人物の「親子の絆」をめぐって正反対の道のりを辿っていた。
本当に反対したのか? 浜名漁協に聞いてみた
しかし、田所記者の言うように、本当に漁協は戦車の引き揚げに反対していたのだろうか。東京に戻ってから、浜名漁業協同組合代表の吉村理利(よしむら・まさとし)さんに電話取材した。 ──2012年以降の「幻の戦車」探索プロジェクトに漁協は関わっていますか? 「漁協としては特に関わっていません。ただ潜水調査をする際には地元の漁業活動者の了解を取ってもらう必要があるので、その調整をすることはあります」 ──浜名湖への水質汚染を警戒して、調査活動に反対しているのでは? 「もし見つかって、引き揚げるということになれば、漁協としても関わることになると思います。ただ、今のところは見つかってないわけですから、そこまでは行ってないですね」 ──1999年ごろに引き揚げ運動に漁協が反対していたのは事実ですか? 「当時も戦車の話は聞いていたけど、何か宝探しのような興味本位の動きだったように記憶しています。漁協が反対していたという記憶はないですね。ただ、地元の漁業者の間で個々にそうした動きはあったかもしれません」 ううむ……。田所記者の記憶とは食い違っているが、浜名漁協は1999年当時の引き揚げ運動に反対したことを否定した。しかし、もし戦車の引き揚げというケースになれば「関わることになる」という立場は確認できた。