「幻の戦車」を求めて 男たちはなぜ湖底を探すのか?
「幻の戦車」をスクープした男、田所記者の回想
中村さんの話を聞いて「いい話だ……」と思った。ここでルポを締めれば、きれいに終わるが、私には気になっていることがあった。沈んでいる戦車は、本当に「チト」なのだろうか。 終戦直後から「猪鼻湖に戦車が沈んでいる」という噂はあったが、その戦車が「四式中戦車チト」と特定されたのは、1999年1月3日、中日新聞東海版の朝刊に1面トップで掲載された「奥浜名湖に幻の戦車」という記事が最初だ。このスクープ記事を書いた人間に話を聞けば、真相が明らかになるに違いない。 6月21日、JR浜松駅前は雨模様だった。駅ビルの書店に併設された喫茶店に初老の紳士が現れた。1999年に「幻の戦車」の記事を書いた、中日新聞元記者の田所定信さん(63)だ。「恥ずかしい話もあるんですが、今では時効だし、何でもしゃべりましょう」と、ざっくばらんに話し始めた。 「1998年の秋、浜松在住の郷土史家と雑談中に、『猪鼻湖に戦車が沈んでるよ』と聞いたのが最初でした。それで興味を持ち、湖岸に住んでいる二橋敦之先生に話を聞いたら、「戦車のことだったら、PTA会長をやっていた大平さんが詳しいよ」と言われた。それで大平安夫さんに会ってみたら、『私が沈めました』というんです。えっ、ウソだろ!と、びっくりしましたね」 このとき、大平さんは「以前にもテレビ局が取材したことがあるんだよ」と、ビデオテープを田所記者に渡した。それは1989年ごろに静岡放送(SBS)で流れたニュース番組の録画。大平さんが生々しく証言する様子が映っていた。「なんだ、特ダネじゃなかったのか」。一旦は落胆した田所記者だったが、あることに気がついた。 「SBSは取材が甘くて、戦車が沈んでいるということしか、報じていなかった。だったら、こっちは戦車を特定してやろうと思ったんです」 田所記者は軍事雑誌の編集部に相談。旧日本陸軍の戦車を何枚も借りてきて、大平さんの前にずらっと並べた。「これだ」。大平さんが指した先にあったのは「四式中戦車チト」の写真だった。