老後に突然「孤独」になってしまった人が犯しがちな「大失敗の正体」
いずこ独り子:他人を支配しても孤独は癒えない
最後に「自分を尊重し理解してくれていた人を失う」ことで孤独になる場合だ。 自分に関心を払ってくれて理解もあった家族・恋人・友人などと何らかの理由で離ればなれになってしまったような状況だ。理解者を失う原因としては進学・転勤・退職などによって自分が相手から遠ざかる場合、喧嘩・離別・死別などによって相手が自分から遠ざかる場合がある。 まず自分が元々の理解者から遠ざかる場合。通常こうした選択は自分がおこなったはずだ。進学・転勤・退職などは、心機一転、自分が成長する機会でもある。あらたな場所であらたな理解者を得ることでさらなる機会もめぐってくる。こうした原因による孤独は必ずしも悪いとばかり決まっているわけではない。 そのため「環境が変わることで一時的に他者との関係が乏しくなる」ことを、事前に十分理解しておく必要があるだろう。孤独感は他者との関係についての期待と現実の差から生まれるため、あらかじめ期待を下げておくことで対処するわけだ。 そうしないと、たとえば、あらたな人間関係を期待して進学に際して田舎から都会に出てきたはずだったのに、一時的な孤独感に耐えられず頻繁に地元に帰って地元の友達とつるむようなことになる。これでは駅前留学と大して変わらない。こうした人はよく見かけるが、これではあらたな人間関係は築けず、いつまでたっても孤独感は払拭されないし、成長もしないということにもなりかねない。 次に理解者が自分のもとから去っていくという場合。死別以外ではこの章のいくつかの挿話と類似した状況で理解者は去っていく。たとえば小さな自尊心を満たすために相手を責める、あるいは罵倒した結果として、相手から自分への尊敬の念が失われていく。自尊心も満たされず、他者も傷つけ、理解者も失う。 大声で「俺を尊敬しろ」と叫んでみても、国際大声大会の会場でもない限り誰も尊敬してはくれない。落ち着いたレストランや雰囲気のいいカフェでときおり見かける大声怪物顧客が周囲からどう見えるか、一度、冷静になって考えてみる必要がある。 こうした悲劇を避けるには「自分にとっての目的は何なのか」「いまやろうとしていることは本当にその目的の役に立つのか」を問い直す必要があるだろう。 もちろん理解者と死別した場合にはこれでは不十分だ。人の死は取り消せない。 ただし理解者と死別した場合でもその人が遺したものを通じてその人と再会することはできる。たとえばその人が遺した書き物を読むことで頭の中でその人と対話することもできるし、その人が遺した人間関係を通じてその人の考え方の背景を知ることもあろう。 孤独を克服するには絆と共感と連帯を自ら創り出す必要がある。 ---------- 参考文献 Perlman, D., & Peplau, L. A.(1981). Toward a social psychology of loneliness. Personal Relationships, 3, 31-56. Russell, D., Peplau, L. A., & Cutrona, C. E.(1980). The revised UCLA Loneliness scale: Concurrent and discriminant validity evidence. Journal of personality and social psychology, 39(3), 472-480. Russell, D., Peplau, L. A., & Ferguson, M. L.(1978). Developing a measure of loneliness. Journal of Personality Assessment, 42(3), 290-294. ---------- つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)