解釈改憲は悪か? 安保法案「違憲論」への違和感 慶応大・山元教授に聞く
「個人の尊重」が犠牲になってはならない
――今回の解釈に基づいて、安保法案の可否を議論するにあたり、国民はどのような点を注意するべきでしょうか。 世界情勢の変化に合わせて国際的な日本の立場を考えることは重要ですが、これと引き換えに「個人の尊重」が犠牲になることは、あってはなりません。 憲法は、世代から世代に受け継がれていく、まさに「未完のプロジェクト」です。「解釈文化」によってプロジェクトの発展を実現できるか、それとも劣化となってしまうのかは、重大な問題です。 今回の安保法案を積極的に擁護する人達の発言を見ていると、憲法は何のためにあるのか聞かれた時、「国家が発展するため」にあるかのようなニュアンスを感じますが、これには大きな違和感を覚えます。国民は、国という抽象的な生き物のために生きるものではなく、個人の尊重を起点にして考えるべきです。この価値観を共通にしていない人とは、集団的自衛権に可能性を開いておく点では私と考えが同じでも、世界観は全く異なるものです。 国際社会における日本国の存在感を高めることは肯定的に評価されるべきですが、その代償として日本国内における「自由と民主主義」が疎かにされてもよいという動きが強まれば、今回の解釈は劣化と評価されることになるでしょう。その二つは、必ず両立させなければなりません。その点を明確に意識して熟議がなされなければならない、と思います。 (ライター・関田真也)