解釈改憲は悪か? 安保法案「違憲論」への違和感 慶応大・山元教授に聞く
9条を保持したまま集団的自衛権の議論を
――憲法96条の手続を経て、真正面から改正をしないことに対する批判についてはどのようにお考えですか? 確かに、フランスやドイツは憲法を頻繁に改正しています。このような「改正文化」の国もありますが、憲法の変わり方は、真正面からの改正という形だけに限られるわけではないと思います。 憲法で規定された文言を一定の歯止めとしつつ、そのテキストをめぐる解釈を展開する「解釈文化」の国があってもいい。これも憲法発展の仕方の一つではないでしょうか。実際、こうした考え方はアメリカでもあります。ルーズヴェルト大統領が、ニューディール政策を行おうとしたとき、当初は新しく作ろうとした法律の多くが違憲とされましたが、その後は最高裁自体の立場が転換し、改正によらず解釈で合憲とされていきました。通常の政治で足りる時代もあれば、憲法解釈レベルの変化が必要な時代というのも存在します。 ――日本国には憲法9条があるわけですが、安全保障に関する問題についても、「解釈改憲」も認められる可能性があってもよいということでしょうか。 政府は、今までとは異なる別の憲法解釈に立脚して、新しい論理を構築しようとしているわけです。将来的に限定的な集団的自衛権について国民の多くが承認するようになれば、集団的自衛権の承認は限定的な限りで合憲だ、という内閣法制局の新しい憲法解釈が正当性を獲得することになるでしょう。 9条の文言をめぐって議論が展開しているわけですが、まさに9条があるから議論の前提として一定の歯止めがかかっているのだと思います。『我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合』という集団的自衛権を発動する要件は、政府の「運用次第」 という意見もありますが、文言として見るとかなり厳格で、極めて限定的にしか認められていません。この要件の中にも、9条の価値観がはっきりと投影されています。9条2項を保持したまま、衆人環視の中で、進める側も進めさせたくない側も議論するのがいいのではないでしょうか。今回の閣議決定により「集団的自衛権が認められると9条が死ぬ」という議論は違う、と思います。 しかし、今回のような解釈を行い、法案の成立を目指す安倍内閣は、「戦後レジームからの脱却」というスローガンを掲げています。この言葉は、日本国憲法の意義を否定し、過去の戦争が侵略戦争であったことを否定的にとらえるという意味で使っています。しかし、本来的な「戦後レジーム」は、国連体制によって形作られた国内外の秩序のことをいうはずです。敗戦国扱いされ、アメリカから憲法を押し付けられ、真正面から軍事力を持てなくなったことに不満があるから、これを変えたいという動機だけが透けて見えますが、これは隣国との緊張感を高めるだけで、本来的にあるべき姿から外れています。このような状況では、国連体制によって作られている「戦後レジーム」から導かれる概念である「積極的・能動的平和主義」や「集団的自衛権の行使」を提案するため、憲法解釈を変更していく主体として、安倍政権は全く適任ではないと考えます。