解釈改憲は悪か? 安保法案「違憲論」への違和感 慶応大・山元教授に聞く
集団的自衛権は平和主義の選択肢の1つに
――「集団的自衛権」を肯定的に評価することも可能なのでしょうか? 現在の違憲論の論調は、個別的自衛権なら健全な防衛であり、集団的自衛権は悪魔的であるという“誇張的・グロテスク”な描き方になっていると思います。従来の内閣法制局の憲法解釈が、憲法上発動することが許される個別的自衛権と、許されない集団的自衛権という形で完全に峻別してきたことの影響を見て取れます。 確かに、集団的自衛権は、戦争を誘発し拡大させる危険性を内包している面がありますから、要「取扱注意」の概念です。実際、1956年にハンガリー動乱などが起きた時、ソビエト陣営が介入する口実として集団的自衛権を持ち出すなど、その名の下に、不当な行使がされたこともありました。 しかし、集団的自衛権が全く認められない世界というのは逆に恐ろしい面もあります。現在の国際立憲主義体制では、軍事的措置を取るかの判定権を、国連の安全保障理事会に独占させています。常任理事国である5つの大国は拒否権を持っていますから、いずれかがこれを行使してしまうと、加盟国は軍事的対応を取ることができません。そうすると、侵略された国は切り捨てられることになってしまい、自分以外に守る国は一切いなくなるということになります。 集団的自衛権は、こうした安全保障理事会でのプロセスを経ることなく、第三国が他国の防衛行動をすることを法的に正当化するもので、安全保障を実現するための補完性を持っています。国際立憲主義体制の基本思想からは、自国以外の国の防衛を、自国にまったく関係のない他者を防衛することとして考えることは妥当とはいえないのです。 ――今回の安保法案は一部では「戦争法案」とネーミングされていて、日本が戦争に巻き込まれるというイメージが強いように思います。 もちろん、この法案が可決されれば、自衛隊員そして国民のリスクは高まります。ただ、国連憲章でも、一定の軍事的措置については合法としているだけでなく、各加盟国に対して、協力することも、抽象的にではありますが明確に期待しています。国際的な公益を問題にしているかという観点で考えることを放棄して、9条があるから考えなくていいということにはなりません。 日本国憲法と国連憲章は、決して分断されるものではなく、連続的にとらえるべきであり、それは9条の解釈をめぐる問題についても同様です。国連憲章は世界のすべての国々に国連への加入を促し(集団安全保障制度)、一定の武力の行使が認められる場面を自衛権行使の場合などに厳しく限定しています。このような国際立憲主義体制の下で、世界の国々が共通に納得できる国際公共価値の存在を真正面から認め、国際公益を具体化する法秩序の維持に関して、構成国としての関わりを重要と考える「積極的・能動的平和主義」の立場からすれば、憲法9条を持つ日本であっても、集団的自衛権を認めることは、将来的には唯一ではないにしても1つの選択肢になるでしょう。 これは、いかなる平和思想を選び取るかという問題です。およそ武力行使を行うことを認めるものであるから、原理的に平和主義に反すると考えることは妥当ではありません。