“液状化”内灘町は今 完了は2割…「公費解体」で孫も涙 町に残るか、離れるべきか? 能登半島地震まもなく1年『every.特集』
能登半島地震からまもなく1年。液状化現象の被害に見舞われた石川・内灘町を歩きました。「公費解体」が始まった一方、傾いたままの家や、壊れたままのアスファルトがありました。液状化の現状や、次の一歩を踏み出せない住民たちの思いを取材しました。
■大きく盛り上がった道路、傾いた標識
今年1月1日、最大震度7を記録した能登半島地震。家屋が倒壊するなど、大きな被害が出ました。 「車が浸(つ)かってる…」。震源から約100キロ離れた、金沢市の隣にある内灘町では、震度5弱の地震が起きた直後、地下から水があふれ出す「液状化」が町を襲いました。 地震で道路が大きく波打ち、アスファルトの隙間から水が染み出します。そしてわずか3分ほどで、辺り一面が浸水しました。 住宅地では、家が傾くなどの深刻な被害が出ました。液状化によって道路は大きく盛り上がり、標識は傾きました。 地震からまもなく1年。内灘町は今、どうなっているのでしょうか。
■「公費解体」の完了は申請の約2割
10月10日、液状化被害が大きかった場所を訪ねました。道路の補修は進んでいましたが、駐車場のアスファルトは壊れたまま。住宅地では雑草が伸び、その奥に、当時と変わらず傾いたままの家がありました。 多くの住民が自宅を離れ、別の場所で暮らしているといいます。 町を歩いて回ると、解体工事が行われていました。進められていたのは「公費解体」です。被災した建物を、自治体が公的な費用を使って取り壊していました。 内灘町によると、住民から申請を受けた451件のうち、完了しているのは10月28日時点で2割ほどの104件です。
■取り壊しで「寂しい」…孫も涙
自宅の解体を見届けに来た鈴木真由美さんに、話を聞きました。 鈴木さん 「これで完全になくなってしまうので、少しでも面影を残しておこうかな」 液状化の被害によって51年間暮らした自宅に住めなくなり、現在は別の場所で暮らしています。解体を前に、家族と家の中へ。思い出がよみがえります。 「ここは茶の間…」と鈴木さん。この茶の間で、子どもたちの誕生日を何度も祝いました。おばあちゃんになってからの思い出もあります。「孫たちも、この家にしょっちゅう訪ねてきていたので、寂しいです。ずっとここに住み続けたかったですね」 解体工事が始まりました。おばあちゃんの悲しさを感じたのか、孫の幸来(ここ)ちゃん(4)が泣き出し、「なんでおばあちゃんのおうち壊すの?」と言いました。鈴木さんは「(液状化で)壊れたからしょうがないの。おうちにバイバイしよう」と呼びかけました。 自宅を解体しても、鈴木さんの不安はなくならないといいます。 鈴木さん 「土地がどうなるのか。手放してしまったほうがいいのか…。これからどうなっていくのかが、一番不安ですね」