なぜ「真面目な学生」の就活は「失敗」するのか…意外と気づかず陥ってしまう「大きな罠」
俺たちに明日はない?:何のためのランキング、何のための就職
こうしたマシンガン乱れ撃ち式就活では内定が出るかどうかはほとんど神頼み/ご祈祷状態である。 だからこうした就活生たちがめでたくお祈りの嵐を受けるのは「祈ったり」叶ったりというわけである(補足:就活生の間では入社お断りのメールに記載されている「今後のご活躍をお祈りいたします」といった定型文から、落選通知は「お祈り」と呼ばれている)。 さらに「就活時応募書類乱射型学生」の周りには、ほんの数社の入社試験しか受けない「三年寝太郎型の学生」がいるものだ。 こうした学生はさきほどと反対の論理で、実は一社当たりにかけている時間・労力が大きいという利点があることと、持ち前の図太い神経による何ともいえない大物感から案外にすぐ内定がもらえたりする。 すると「あの寝太郎でさえも○○に!」と、就活時応募書類乱射型学生の焦りはピークを迎える。 そうなってしまっては、悶々としながら寝太郎が受かった○○株式会社について「○○株式会社 年収」とか「○○株式会社 入社難易度」「○○株式会社 コネ」「○○株式会社 やばい」などと検索してみるが、そんなことでは焦燥感と劣等感は払拭できない。 就活時応募書類乱射型学生は、こうしてもう百社、もう二百社とさらに悪手を重ねてしまうわけである。 ここまでは一応は喜劇だが、就活生本人は笑えないだろう。それどころかこうした状況で自信を失ってしまい、正気でいられないかもしれない。日本ではなくアメリカだったら応募書類の乱射ではなく本当の銃乱射事件という悲劇につながっていた可能性さえある。 だがこれを読んでいる就活生は落ち着いて欲しい。 こうした就活生は決して能力が低いわけではなく、真面目ゆえに経営失敗の罠にかかっただけである。だからこそ経営思考を取り入れて「自分にとっての究極の目的は何で、そのためにはどんな就職をすべきか」を問いなおすだけでも就職活動をめぐる悲喜劇の大部分は回避できる。 経営思考が欠如した就職活動をおこなった場合、たとえ運よく有名企業に内定を得た学生であっても、それは悲劇の序幕に過ぎないということにもなりかねない。 たとえば、何の信憑性も根拠もない、ネット上にあふれる「入社難易度ランキング」を気にして、とにかくランキングの高い会社を目指すような場合である。こうした発想で、外資系コンサル、外資系投資銀行、政府系企業、シンクタンク、総合商社、テレビ局、広告代理店、出版社……といった企業を想定年収の高い順に受けていくような就活生は多い。 こうした企業への就職を希望する学生は、その実、大学受験的発想で入社ランキング上位企業に入って周囲に自慢したいだけのこともよくある。しかしそれでは内定は得られないため、仕方なくとってつけたような「志望理由」を創作する。 祖父母の教えと部活とゼミとインターンシップ経験とが統合されて「広告を通じて環境問題を解決する」という壮大かつ意味不明なビジョンに至ったなどと奇妙奇天烈なことを言い出す。これまで文学に興味のかけらもなかったはずなのに突如として創作に目覚めるようだ。 しかしこれには裏がある。こうした就活生は就職活動が上手くいった先輩の力を借りたり、場合によっては就活塾などに大金を支払ったりして、こうした志望理由を練りに練っているからだ。 不幸なことに、度重なる面接練習を通じて、志望理由錬成型就活生は偽りの志望理由を真実だと信じ込んでしまうようになる。 つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)