国産ロケットH3に宿る「ロケットの父」糸川英夫氏の哲学、その原点となった「母の教え」とは
■ 国産ロケットの父から学ぶべきは「ポータブルスキル」 ――糸川氏が提唱する「システム工学」はどのような理論なのでしょうか。 田中 システム工学の内容は多岐にわたりますが、理論ではなく「ポータブルスキル」(業種や職種が変わっても持ち運びができるスキル)と捉えると分かりやすいでしょう。 例えば、世界中で活躍しているユダヤ人は、「創造力」というポータブルスキルを活用してあらゆる環境に適応しています。糸川氏も同様に、システム工学をポータブルスキルとして活用し、戦闘機や脳波記憶装置、麻酔深度計、バイオリン、ロケットの開発など、あらゆる分野でトップまで登り詰めました。 一例として、ロケットのような複雑性の高いプロダクトを必要最小限のシンプルな形にしてアプローチする「ゴールの法則」があります。これは、確実に動く「単純なシステム」から「複雑なシステム」に変遷させてしていく方法で、未知の領域でも複雑なプロダクトやシステムを開発する上で役立ちます。 本書では、糸川氏の提唱する様々な理論について、事例を交えながら解説しています。 ――「ゴールの法則」については、糸川氏が中心となって開発し、日本のロケット開発の起点となった全長23cmの「ペンシルロケット」が連想されます。そもそも糸川氏が「国産ロケットの父」と呼ばれるのは、どのような理由からでしょうか。 田中 糸川氏自身は人工衛星を打ち上げていないことが、その理由といえるかもしれません。糸川氏は1967年に航空宇宙研究所のあった東京大学を退官しており、その3年後、糸川氏の弟子にあたるメンバーが人工衛星「おおすみ」の打ち上げを成功させています。つまり、糸川氏自身が人口衛星を打ち上げなかったからこそ後進が育ち、大きな成果を上げられたということです。 さらに、その弟子の弟子にあたる川口淳一郎氏(現・JAXA宇宙科学研究所 シニアフェロー)や國中均氏(現・JAXA宇宙科学研究所長)が、2003年に小惑星探査機「はやぶさ」を成功させています。 はやぶさは長い苦難の末、小惑星「イトカワ(ITOKAWA)」に着陸してサンプルを取得した後、2010年6月に無事帰還しました。世界初の地球・小惑星間の往復飛行の達成であり、世界初のサンプルリターンの成功例として広く報道されています。 小惑星「イトカワ」の命名にもドラマがありました。元々は米マサチューセッツ工科大学の小惑星研究チームに命名権があったのですが、かつて糸川氏が所属した東京大学宇宙航空研究所(現・JAXA)の後輩たちが権利を譲り受け、「イトカワ」と命名したのです。 ――「国産ロケットの父」と呼ばれる理由には、引退後にも宇宙開発の現場に影響を及ぼしていることが関係しているのですね。 田中 そうですね。糸川氏が人工衛星を打ち上げずに東大を退官したことは、結果的にその後のさまざまな成果につながりました。 また、JAXAが新しいことに挑戦する人材を輩出し続けている要因も「DNA(ミーム)は伝承され、糸川氏が不在だったこと」にあるといえるかもしれません。糸川氏が宇宙開発から引退したことによって、弟子たちが多くの成長機会を得ることができたのだと思います。