看取り医が頭を抱えた!「私たちは普通の母親が欲しかった」…家を出た娘が明かす「石や包丁を投げる」天才三味線奏者の素顔
「怖くて近づけない」
そんな中、別のお宅の診察中に華絵家にまつわる話が聞くことができた。80代の男性の診察をしていたところ、介護者の息子さんが「先生って、俺の叔母さんの診察をしているでしょ? 華絵さんってわかる? 華絵さんの夫は親父の弟なんだよ」と話しかけてきたのである。 私が往診に使っている車が華絵さんのお宅の玄関先に停まっているのを見かけて、気づいたらしい。「叔母さん、大変でしょ…」と水を向けられ、「認知症がなかなか落ち着かなくてね」と返すと、思わぬ答えが甥から返ってきた。 「あれね、認知症じゃないよ。若い頃からああいう人なんだよ。ハチャメチャだった」 甥が続ける。 「俺が物心ついた頃から叔母さんは普通じゃなかった。怖くてあの家には近寄れなかったし、親戚の集まりも叔父さんだけが来て、叔母さんは連れて来なかった。社会性や常識がないというか、奇人変人ぶりが凄かったからね。俺の嫁も石を投げつけられたことがある。だから俺たちの結婚式も叔母さんだけ欠席だった」 仮にそれが事実であれば、ピック型認知症が疑わしい華絵さんの「診断名」は変わってくる。彼女は私に対しては口が悪いだけだ。診察にいけば「おお、よく来たな。三味線でも弾いてみるか?」と、気さくに声をかけてくれる。 なんとか往診の範囲内でより正確な診断を行い、今後の生活に生かしたい。 そのためにも事情に詳しい方に話を聞きたい。そう思っていた矢先、訪問診療に伺うと娘の尚子さん(仮名・50代)が帰省しており、話を聞くことができた。
「母に怯えて暮らしていた」
尚子さんの口から語られたのは、母・華絵さんを核とした機能不全に陥った家族の苦しみだった。 「母は、私の子どもの頃から変わっていて、私たち姉妹は甘えたりできませんでした。家庭的なところは何もありません。いや、できない人だったと思います。食事を作るのも、部屋の掃除も、私たちの学校行事に参加するのも一切を父がしてくれました。この家に母はいません。母のかわりをしてくれたのは父です。 母には何か異常がある。そう感じた私たちは友人を家に呼ぶことはしませんでした。母は気に入った子にはケーキを買ってもてなすのですが、気に入らないと突然殴ったり、石を投げつけたからです。その気に入る、気に入らないの基準もよくわからない。それで怖くて友人を家には連れてこれなかったのです。 私たち姉妹はいつも怯えて暮らしていました。皿や茶碗、酷いときには包丁まで投げてくるからです。私は大人になってはやくこの家を出ることばかり考えていました。妹は居場所を探して新興宗教に入って、行方がわからなくなりました。もう20年以上会っていません。 私もずっとこの家に来るのを避けていました。最近、やっと母の暴力が落ち着いて、私も父に会いにくることができるようになっただけです」
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