【独自】15年ぶりの映画監督 浅野忠信が語る “クリエイターの矜持” 最初の観客は「撮影現場」にいる
Q:「男と鳥」を観て、「浅野さんは、普段どんなことを考えているんだろう?」って小栗監督から絶賛されていましたが、どういうふうに社会とかを見ていますか? 浅野:いやもう…本当に天邪鬼ですから、ものすごくひねくれて、日々いろんなものを見て、やっぱり「当たり前であること」っていうものが、ありがたいことは いっぱいあるんですけど、やっぱりこれって考えたら「昔からずっと動いていないんだな」って事が、やっぱり溢れているんですよね。 「これって何で、こうあるんだろう?」って なんか当たり前だけど、もっと良くできるんじゃないかとか、それは、「この役をどうしたら面白くできるだろう」って考えている延長線だと思うんですよね。 普段、台本をもらって読むと、どっか頭の中にこびりついた「誰かがやったような演技」で読んでいる自分がいたりするんですね。そうすると大体、つまらないんですよ。 でも、「あ!いけない」と… こうじゃない場合ってなんだろう? ってもう1回読み直すと「こういう人だったら面白いな」 とかって… 失礼な話ですけど、主人公に僕が興味のない俳優さんがキャスティングされて、その方が台本を読んでいると、「やっぱ、つまらないなぁ~」ってなるんですけど、もし渥美清さんが…寅さんがキャスティングされてたらって想像すると、めちゃくちゃ大体面白いんですよ。 これって、やっぱり「俳優の役作りの話」だから、そっか…「つまらない役ってないんだな」って、そこで思えるわけですよ… Q:今回、秋田の学生さんにも一部、撮影を任せたのはなぜ? やっぱり、僕の好きな監督で、もう亡くなってしまいましたけど 相米慎二監督っていう方がいて、僕が「風花」という作品を一緒に撮った時に、監督はどのスタッフも平等に扱ったんです。扱っているのではなく、それが普通の監督のスタイルでした。 だから、本番回してカットかけて、誰も普段は、あまり声をかけないような 照明部の一番下っ端の子に、「今のどうだった?」って聞くんですよ。 「いやあ あんまり…」っていうと、「何々くんが面白くないっていうから、もう1回だよ!」って(笑) 結局、別にキャリアの話じゃないし、いっぱい映画を撮ったからって、うまくできるわけでもないんですよ。 (ミラーライアーフィルムズのように)学生の方が、映画の撮影現場にいるってことは 我々がもう忘れてしまった「何か」を、必ず持ち込んでくれているから…、学生さんがいることで気持ちがリフレッシュできますし、ちょっと試しに 何かやって頂いたり アイディアをもらったりして、「これって本当に入れるべきアイディアだったね」ということがやっぱりあったりするんですよ。 Q:映画業界として、もう少しこうなったら良いな・・・みたいな想いはありますか? 浅野:やっぱり…SNSがあることで、世の中やっぱりある種、「平等化」じゃないですけど、どの国に行っても、ある程度、国のことがわかるから、ある種の「共通の常識」だったり いろんなものが みんなの中に植え付けられたと思うんですけど… だからこそ、(当たり前とされているものに)「疑問」を持ってほしいし、何か映画でも、「何が本当はやりたいんだろう」って考えたいなと思うんですね。 そうするとやっぱり、「長さ」は自由でいいし、もう1つは、それはまさにSNSとかで確認すればするほど、世の中はもう映画以上のことが溢れているんですよね。とんでもない事件だったりとか、とんでもない喜びだったり、いろんなことに溢れてて、映画が追いついてないような気がするんですね。 だったら、映画の持っている強みを生かして、「人の夢の話」でも撮って、不可思議な物語とか、 さらに何か違うイメージを共感してもらえるような事って、できないかな?とは思いますけど。やっぱり、「ありきたりの物語」は 追いついていないような気がするというか… はい。 Q:「エミー賞」の授賞式で、ステージ上にいる方たちを見ると、もう頂点に登り詰めたと満足しても良い気もするのですが、それでもなお、ものづくりにどん欲ですね…