37歳女性が目指す“寿司職人”の新境地。子育てとの両立は大変でも「子供の存在がパワーに」
ハワイ帰国後に目指した寿司職人の道「おにぎりと通じるものがあった」
紆余曲折の人生を歩んできた岩井さんだが、転機になったのはツアーガイドの会社を経営する社長の一言だった。 「日本へ帰国するタイミングで、何をやろうかと考えていたときに『これからの時代、アメリカは寿司職人の需要が高くなる』と社長に教えてもらったことを思い出したんです。おにぎり職人をやっていたので、寿司職人にもなるのもいいなと思い、帰国後は『GINZA ONODERA 鮨アカデミー』へ入学しました」 岩井さんは6期生として鮨アカデミーへ入学。全13名のうち、唯一の女性として寿司職人の基礎や心構えを学習した。 「シャリの仕込みや魚の捌き、握りなどをひたすら学びました。自分は不器用、で、人の倍はやらないと身につかないと思っていたことから、必死に体に染み込ませようと頑張りましたね。 ただ、アカデミーに入って一番良かったのは、『仲間との繋がりを得た』ことです。今でも連絡を取り合うなど、私にとってかけがえのない財産になっています」 おにぎりと寿司の共通点は「ふんわりと握ること」と「一つひとつに愛を込めること」だと語る岩井さん。 アカデミー卒業後、数ヶ月を経て「鮨銀座おのでら 総本店」へ就職が決まった。ここから寿司職人としての修行が始まる。
生粋の寿司職人から学んだ「覚悟」と「流儀」
寿司職人の見習いとして、岩井さんが任されたのが「手子(テコ)」の仕事。 カウンターの前菜や器物をセットしたり、お客様へのお土産を準備したりと、寿司職人をサポートする役目を担うポジションである。 そんななか、入社後3日目に親方から「カウンターに立ってくれ」といきなり言われたそう。寿司職人を長年続ける先輩と、同じ空間に身を寄せることになった岩井さんは「かなりの“圧”を感じた」と振り返る。 ある日、最も怖いと思っていた先輩と2人きりに……。 「それで、お前はいつ辞めるの?」 先輩の言葉にはっぱをかけられた岩井さんは、負けず嫌いな性格ゆえに「辞めません!」とキッパリ言い放ち、“絶対に寿司職人になる”と本気のスイッチが入ったという。 「怖いと引け目を感じていた先輩が、いちばん教えてくれましたね。心に響いたのが『文句言われたくないなら、言われないような仕事をしろ』という言葉でした。やるべきことをきっちりする。与えられた仕事のプロフェッショナルになる。 つまり、手子の仕事もろくにできない自分が、先輩から握りやさばきを教えてもらうこと自体、筋が通っていないわけです。だからこそ、血の滲むような努力をしないといけないと思いましたし、まずは目の前の仕事を完璧にこなすことを意識しました」