北丸雄二さん、エイズ問題を振り返る「米国では市民運動を作った。でも日本では...」
1990年代から次第に世論の理解が進みはじめ、治療薬によってエイズは「死の病」ではなくなっていきます。やがて、政治の中心課題から外れ、代わって出てきたのが、同性婚を求める運動です。これも2015年に米連邦最高裁が認める判決を出し、米国では一つの区切りとなりました。 では日本はどうでしょうか。1980年代半ばから日本でも支援団体が生まれたが、エイズはあくまで個人の問題に押し込められ、政治課題に発展し得ませんでした。性的少数者の声がほぼ無視されたのは、長年の自民党政権の中で男性主義、家族主義、家父長制が深く根付いていたことが背景の一つでしょう。 世論を巻き込んだ米国のエイズの運動は、その後のさまざまな市民運動に引き継がれました。だが、日本ではこうした運動が広がらず、小さな声を社会運動に発展させるノウハウが育ってこなかった。そんななか、近年、女性の権利や性差別に対して声が上がるようになったのは、大きな変化です。 社会は、それまで見えなかったものが見えてきたとき、混乱し、困惑します。でも、それに対して対応していけばよいだけのこと。エイズは、そうした新しい生き方や社会のあり方への闘いの象徴だと感じています。