【新春インタビュー】甲子園優勝投手・吉永健太朗が振り返る高校時代「甲子園初登板、アドレナリンが止まらず……」
日大三名物・冬合宿
――公式戦で活躍するまでの期間は何をアピールして登板機会、ベンチ入りすることを目指していましたか? 吉永 ベンチ入りするとなったら、まずは結果を出すというところが大前提かなと思うんですけど、僕の強みは変化球が得意というところ。球速は1年生の秋で135キロ出るか出ないかぐらいだったので、真っ直ぐとカーブ、スライダーを投げ分けて、いかに相手を攻略するか、みたいなところを意識しながらやっていました。結果的に練習試合の結果はとても良かったので1年秋にベンチ入りメンバーに入れていただいきました。 ――秋の段階で活躍されていた髙山(俊・オイシックス新潟)さん、横尾(俊建・2024年から楽天2軍打撃コーチ)さんら同級生の活躍は焦りにはなりませんでしたか? 吉永 秋の段階で確かに横尾と髙山は活躍してたので、僕も活躍したいなと思いながら練習しました。選抜が決まってたので選抜で投げたいという思いで一生懸命練習した結果、選抜で143キロ計測することができて、そこで一気に自分の中で成長できたところかなと思います。でも、試合を作るとか、制球力に課題があったので、そこを改善するために夏までトレーニングして、結果的に甲子園行くことができませんでしたが、球速を147キロまで伸ばすことができたり、あとは試合を作れるようになったりとか、そこで大きく成長できたかなと思います。自分の代に入って一つ上で活躍していた畔上とか、髙山とかと一緒に強いチームを作っていけたらなと考えていました。 ――冬合宿はどのようなスケジュールで練習を行う形だったのでしょうか。 吉永 スケジュールは2週間4クールあるんですけど。4日で1クールが4クールあり、1クール3日間は朝練をやって4日目は朝練なしっていうのを4回繰り返すというスケジュールです。3日間朝練の時はダッシュ系の日とインターバル系の日、サーキットトレーニングの3日間の構成になっています。それが3日間終わると4日目は朝練なしという構成で4クールやる形になってます。 ――初めて1年生で参加した冬合宿はいかがでしたか。 吉永 地獄でしたね。こんなきつい練習があるんだっていう印象だったんですけど、結果的にこの冬練を越えて球速が10キロとか伸びたので、自分としては一つ成長できたというところはあったと思います。 ――2年時も同様に大変でしたか。 吉永 めちゃめちゃ大変ですし、1年目を知ってるんで2年目の冬合宿の前が怖くてしょうがなかったです。 ――最後のランニングで涙を流す選手もいると伺ったんですけども、それだけ過酷ということですか? 吉永 涙を流す選手がいるというのではなく、大半の選手が涙を流します。達成感であったり、やり切ったっていうところもあるし、やっと辛いところから解放されるっていう両方あると思います。