【新春インタビュー】甲子園優勝投手・吉永健太朗が振り返る高校時代「甲子園初登板、アドレナリンが止まらず……」
社会人時代にようやく掴んだ感覚
――大学2年生以降苦しい日々を過ごす中で、どのようなモチベーションで練習を取り組んでいましたか。 吉永 大学卒業後ドラフト1位でプロに行きたいという思いで入ってきたので、まずは諦めずにゴールに向かってやりきるというところと、甲子園で活躍したとか、大舞台で活躍するという経験があったのでもう一度そこでやりたいという思いで毎日やってました。 ――社会人時代は振り返ってみてどうでしたでしょうか。 吉永 大学時代の最後はフォームとか怪我とかで思うようにできませんでした。JRに入った理由は、ピッチングコーチの僕の現状に対してのアドバイスがマッチしてると思ったからです。結果的にピッチングコーチに教わったことによって、技術的なところはすごく改善できましたし、思うような投球ができるようになった中で怪我が重なってしまったところがあるんですけど、大学の最後の方と比較すると、自分の中では割と納得ができるようなピッチングができていたかなとは思います。 ――その感覚を早く手にしたかったですね。 吉永 大学の段階で気づいていれば改善ができていたのかな思うので、そのような経験を今後苦しんでいる選手に伝えていければなと思っています。 ――社会人野球で引退勧告を受けた時の心境はどのようなものがありましたでしょうか。 吉永 20年ぐらい続けてきた野球だったので、野球がなくなった人生ってどうなるのかなという不安と自分が頑張って怪我から復帰して1年プレーしての引退だったので、もう1年やりたかったっていう思いもありました。肩の不安は常にあったのでそこから解放されるということで心の負担は無くなったりと複雑な心境でした ――高校野球は現在の自分にどのように活きていますか。 吉永 辛い経験から成功体験、色んな経験をさせて頂いたので、これまでの人生やこれからの人生に置いて自分のメンタル的な支えにはなっていくのかなと思います。 ――最後に球児たちにメッセージをお願い致します。 吉永 あれだけ野球に打ち込んでやれるというのは高校までかなと思ってます。大学、社会人で緩くなるとかではないんですけど、そこまで熱中して野球をやれるというのは高校野球の醍醐味かなと思っているので、一日一日悔いなく練習していけば、目標は達成できると思いますし、その経験が長い人生を考えてもかけがえのない経験になると思うので、辛いこともたくさんあると思うんですけど、楽しみながら高校野球生活を過ごしていただいて少しでも自分の良い経験になってもらえたらなと思います。