【新春インタビュー】甲子園優勝投手・吉永健太朗が振り返る高校時代「甲子園初登板、アドレナリンが止まらず……」
日大三のエースとして甲子園優勝、早稲田大でも全国制覇――。輝かしい球歴を持つ吉永 健太朗さん。2019年に現役引退後は、会社員の傍らでさまざまな野球普及の活動を行っている。 【動画】吉永健太朗が明かす必殺・シンカー誕生の裏側、そして恩師との秘話 簡単に吉永さんの経歴を振り返る。2年生の2010年秋から日大三のエース番号を背負い、第42回明治神宮野球大会では優勝。3年時の第83回選抜ではベスト4、第93回の夏の甲子園では優勝を収めた。8月28日から開催の第9回AAAアジア野球選手権大会に日本代表の一員に選ばれ、最優秀防御率賞を獲得しベストナインにも選出された。 早稲田大学に進学後は1年生春からリーグ戦に登板し、4勝をあげ、ベストナイン、最優秀防御率投手に選出される。チームとしてはリーグ優勝し、全日本大学野球選手権では2勝をあげ、最優秀選手に選出された。社会人JR東日本では、野手にも挑戦したが、ケガの影響で現役引退。 そんな吉永さんの野球人生を振り返ってもらった。 **********
小倉監督は第2の父
――日大三に進学した理由はなんでしょうか。 吉永 健太朗(以下「吉永」) 中学では自分が投手をやらせていただいたってこともあったので、どうしたら甲子園に出られるか、ということを基準に考えて高校を選びました。日大三は特に打撃の印象が強かった。自分が投手をして活躍して、打撃の強い日大三で投打が嚙み合えば甲子園に出られるんじゃないかということで日大三を選びました。 ――日大三の練習環境や雰囲気を改めて振り返ってみるとどのようなものだったのでしょうか。 吉永 まず日大三に入った時点で1番驚いたのがレベルの高さです。球場の奥にネットがあるんですけど、三年生はフリーバッティングでその奥のネットすら越えちゃうんですよ。レベルの高さにはびっくりしましたね。自分がこの環境でやっていけるかという不安があった一方で、ここで活躍できるようになれば甲子園目指せるっていうことも思いました。 寮生活させていただいてたので、練習量もしっかりありますし、食事面でも寮の方で食事をサポートしていただいたので、野球の技術面と生活面、ともにサポートいただいてすごく成長ができたのかなと思います。 ――小倉先生はどのような監督だったのでしょうか? 吉永 監督としてはやっぱりいろんな日大三OBの方が言うんですけど。第2のお父さんみたいな存在ですね。寮生活を一緒にするので24時間365日、お風呂も一緒に入りますし、ご飯も一緒に食べます。一緒に居る時間が長いというところで、野球面だけでなくプライベートな話もします。信頼されているからこそチームが一丸となって野球ができるというそういう一体感みたいなところはすごくあります。 ――小倉先生との思い出深いエピソードはありますか? 吉永 エピソードとしては3年生の夏の大会のときにプレッシャーに負けて全然結果が出せなかった時に、小倉監督の部屋に呼んで慰めてもらったこと。それでも結果が出ずに小倉監督の車でデニーズに連れてってもらって、試合前日の夜にパフェを食べながら「お前ながらできるぞ」って言ってもらって慰めてもらいながら夏の大会を戦ったっていうことが凄く忘れられない思い出となってます。 ――小倉先生の言葉の中で、最も心に刻まれている言葉は何かありますか? 吉永 いろいろな言葉があるんですけど、「練習は嘘をつかない」という言葉は、日大三の選手が常に意識してることです。練習では手を抜かない、ランニングでも最後の一歩まで手を抜かない、投げるときも最後の1球まで投げきる。そういうところが最終的に結果に繋がると思うので、その言葉は日大三の共通認識としてあるのかなと思います。 ――小倉先生はどんな存在だったのでしょうか。 吉永 お父さんみたいな存在ですね。野球だけ教わるわけじゃなくて、学校生活においても倫理の先生もされているので、授業をやっていただいたりもしますし、あとはグラウンドでも野球一緒にやってずっと一緒に居るっていうかたちなので、色んな面で人として成長させていただいたのかなと思います。