ファレル・ウィリアムスが語るルイ・ヴィトン、ドレイクとのビーフ、アメリカ社会の今──GQ デザイナー・オブ・ザ・イヤー 2024
■パリから見えるアメリカの現在 ──仕事柄、私もパリで過ごすことは多いですが、20カ月もこっちにいたことはありません。ご家族をこちらに移されましたよね。何か学んだことはありますか? フランス語を少しずつ。ここにいて大西洋の向こう側を見ると、私たちがいかにお互いを苛立たせているかがわかります。私たちがいかに部族主義的であるかがわかります。光の当たり方によって、汗が指紋に虹色の輝きを与えるでしょう? 私たちを互いに敵対させる諜報員や外国の指紋が見えます。ここに立っていると指紋が見えてくるんです。 ──距離があるからですか? 距離があるからです。見ていてつらいものですが、自分もその中に入ってしまえばどちらか一方を選ばざるを得ないから、そうしたくはない。そして、その渦中にいる人たちは、自分の偏ったものの見方を満たすため、醜いものに飢えています。だから彼らは、あなたがどちらかを選ぶように仕向けるためならどんなことでもする。そうしなければ、あなたは敵です。あなたがどちらかを選ぶと、(その一方の)全員があなたの味方になる。そして、意見の異なるもう一方のグループはあなたを憎む。星条旗に描かれている星々を何だと思ってるんだ? どの州も同じだと思ってるのか? 正気か?と思います。 ──ええ、ただの青い四角じゃありません。 ハワイはアイオワとは違うし、アイオワはイリノイとは違う。ニューメキシコはジョージア州アトランタとは全然違う。神に感謝です! 私たちを美しくしているのはそれですから。そして、なぜ私たちはアメリカ合衆国になったのか? 原罪はちょっと横に置いておきましょう。我が国の最初の商品が黒人だったというのはね。それは置いておきますが、ここは自由の国であり、勇者の故郷であり、世界中の様々な国──主にヨーロッパから人がやってきて店を構え、この新しい世界を創り上げたのだ、という私たちが聞かされた話。あれはどうなってしまったのか? ──“United” States(団結した州)のはずなのに。 そして今、私たちはそこから最も遠いところにいます。そのすべてを目にするのはつらいですよ。私もすべての意見を一致させなきゃとは思っていません。でも、自分もほかの誰かとは違うのだから、その違いを認める必要がある。私たちはそれを完全に見失っています。母国にいる我々の目が曇っていることを知らされるのは、移民排斥の話題や、「彼らは私たちの国に入ってきて、病気をもたらし、強姦し、殺人をし、麻薬をもたらし、私たちの仕事を奪っているのだ」というような話を耳にするとき。これらの言葉を、ネイティブ・アメリカンと一緒に並べたらどうですか。最初にいたのは彼らですから。彼らにこそ、それを言う権利があります。だから、ある物事についてどちらかの側に立つことを求める人々について考えたとき、悪いけど、自分はどんな種類の分裂にも賛同できない。私としては、我々は皆、神の子。主が皆を愛しているなら── ──我々はいったい誰を憎めるというのか? 分裂には反対です。「sword(剣)」という言葉があります。「s」を後ろに移動させれば、それは「words(言葉)」です。私が選ぶのは言葉。命が失われることなく、人々がそれぞれの違いについて話し合うことができればと思います。でも、世界はそううまくはいかないことも知っています。これについてどう思うとか、あれについてどう思うとか私に聞かないでくれ、と言っているのはそのためです。私はただのセレブリティで、何の権威もありません。私に聞かないでほしい。 ──テイラー・スウィフトがカマラ・ハリス支持を表明した直後に掲載された『ザ・ハリウッド・リポーター』のインタビューでも、あなたは同じようなスタンスでしたね。そして、あなたがテイラーをディスったという見出しになりました。 それが彼らの仕事ですから。お互いを敵に回すのがね。私はテイラーを愛しているし、彼女もそれを知っています。 ──はっきりさせておきたいのは、インタビューであなたは彼女の名前を出していないことです。 そう、一言も。実は去年、テイラーの『1989』のTシャツをネットで買って、それをジーンズにタックインしこの辺を歩いていたんです。彼女のことが好きでね。私は人を愛していますから。あれは右翼による悪意ある戯言。でも、こないだ聞いたことは腑に落ちました。「右翼も左翼も同じ鳥」ってね。 ──では、二元論を否定するのであれば、あなたの立場は? よくぞ聞いてくれました。というのも、私としては、あなたが選択肢を提示してくれるからといって、その中に私を当てはめる必要はないんです。 ──「あなたのメニューは却下」 そう、あなたの提示したメニューは却下です。そして、私にはその権利があります。もちろん、私には実際に支持しているものがありますが、それをあなたと共有する必要はありません。私が感じたことを誰かに報告する必要があるとしたら、そいつは何様なのか? どちらの選択も気に入らないと言ったら? 私が人を愛していたらどうだというのか? 私が戦争をする人間ではなく、闘う人間(fighter)でもなかったら? 決まり文句で返せば、私はどちらかで言えば愛する人間(lover)だということでしょう──って、それはここ(ルイ・ヴィトン)で私たちがやったことですね(訳注:loversをもじった「LVERS」はファレルによるルイ・ヴィトンのスローガン)。 ──まあ、決まり文句にもいいものと悪いものがありますから。 そうですね。でも、私は自分の意見を皆と共有する気はありません。私は黙っていることができます。大事なのは行動だと思っていますから。寄付もしたし、ボランティアにも参加しましたが、それを見せる必要もないし、話す必要もない。匿名なのは、人がどう思うか気にしないから。気にするのは自分の神がどう思うかだけです。私が崇拝するアブラハムの神は、一神教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3つの宗教の神と同じです。私は普遍主義者でもあるから、仏教徒の兄弟たちだって全然オッケーです。私にとっては、太陽の下には誰にだって居場所がある。ヒンズー教の兄弟だって同じこと。存在のすべて、過去に存在したすべて、そして未来に存在するすべてを認めるほかのどんな教義もね。私からコメントすることはありません。あなたは自由にすればいい。そこで人生を送り、目を覚ましてからソファに一日中座っていたとしても、それでいい。ところで、もし私がこういう人間でなかったら、「Live and let live(お互い干渉せずに生きよ)」と説くことはできません。何が言いたいかわかりますか? 両立はできないんです。「Live and let live」にすっかり賛同するか、しないか。他人に干渉されずに生きたいなら、他人に干渉せずに生きるしかありません。 ──たとえそれが落ち着かなくても。 その通りです。私の考えでは──ほかの誰の意見でもありませんよ──自分は忠実な公務員のようなもの。つまり、ホワイトハウスにいるのが誰かは関係なく、国のために成し遂げなければならないことがあるんです。その人の政治には賛同できなくても、アメリカ人であるとはそういうことでしょう? 「自分の側」と「相手の側」が協力できるようにしなければ。(故郷の)バージニア州のために、州民にとっての利益のために成し遂げるべきことがあれば、私は権力者が誰であろうと喜んで話をするつもりです。 ──LVでの1年間についてお話ししましょう。カウボーイ風のコレクションを作ることになった最初のきっかけは何でしたか? それには2つあります。ひとつは、父が西部劇好きだということ。私にはちょっと理解できないのですが。父はたまにとんでもないことを言うから、「父さん、そんなこと言っちゃダメだよ」って。父は違う時代の人。背中を撃たれて、黒人の蔑称で呼ばれたことがあり、その体験がいまだに父の中に残っています。でも、ときどき父が言うことに、私は「父さん、いい加減にしてくれ」と思うんです。わかります? 父はベビーブーマーだから── ──ブーマーらしい振る舞いをする。 そう、ときどきブーマーらしさが出てきます。西部劇が大好きな父に、私は言うんです。「父さん、こんな風じゃなかったって知ってるでしょ。黒人やアジア人、多くの労働をこなしていた人たちが出てこないし、先住民の扱い方もひどい。何で好きなの?」って。父は、実生活でも黒人に対してひどい扱いをした俳優を好きなんです。それを知りながらね。それでも父は、その芸術様式が好きなんです。それと、私はシャネルの「パリ-ダラス」コレクションが大好きでね(注:2013年、カール・ラガーフェルドは米ダラスでシャネルのランウェイショーを開催した)。それで、尊敬するふたりの人物にオマージュを捧げて「パリ-バージニア」コレクションと名付けました。 ──今年のルイ・ヴィトンのもうひとつの大きなショーは、パリオリンピックの数週間前にあったユネスコでのショーでしたね。カウボーイの次はファッション版「We Are the World」か、と思いました。 すごい。ありがとう。 ──正直なところ、私はあのショーでかなり複雑な気持ちがしました。モデルが登場し始めたとき、服の色はとても暗いし、モデルの肌の色も暗いことが気になりました。それから服の色が明るくなるにつれ、肌の色も明るくなっていく。そして、頭の中で自分の声が聞こえました。「こんなことしたらダメだ。肌の色の濃いほうから薄いほうにモデルを並べるなんて」と。ショーの間、私はそこに座って自問自答していました。「いいのだろうか? ダメだとしたら、なぜダメなのだろう?」。でも、それがダメな理由を見つけることができなかった。アメリカ南部出身の白人である自分は、人種関係について過敏なのだと思い知らされました。 まさにそれが目的です。重要なのは、観客があのコレクションと人間的な繋がりを持つことでした。人種を中心的なテーマにすることなく、人種を利用して繋がりを持たせる。ある色との繋がりを感じ、自分がその色に属していることを知る。最初に服とモデルのカラーマッチを見たとき── ──真っ先に人種のことが浮かび、緊張が走ります。 しかしよく見てみると、それは人種とはまったく関係ない。ただ、自分の居場所があるように感じさせてくれる。ほかの肌色をした誰だってね。それが目的でした。誰もが自分は歓迎されていると感じてほしかったのです。オリンピックの前哨戦なんだから。だってオリンピックとは何ですか? ──「We Are the World」そのものです。 人間であるという、それだけのこと。 ■皆がやっていることはやりたくない ──ヴィトンでの役職は、あなたの人生において音楽が果たす役割を変えましたか? ええ。でも、あなたが想像しているような形ではありません。 ──音楽に取り組む時間が減ったと考えるのは妥当でしょうか。 増えましたね。 ──どうしたらそんなことが? ヴィトンでの役職が、音楽活動によりいっそう取り組める場所に私を置いてくれたからです。(パリの)デザインスタジオの中にある音楽スタジオに来たことがありますよね。 ──ええ。 それ以外にも2つ部屋があります。以前はどこに行くにも自分で音楽を持って行っていました。今は音楽が私のやっていることすべての中心にあります。 ──昨晩、マイアミで(ラッパーの)フューチャーと(DJの)メトロ・ブーミンを撮影しましたよ。 フューチャーに、私が『Mixtape Pluto』に夢中だって伝えてくれますか。「Ski」「Plutoski」、それに「Aye Say Gang」はヤバいね。 ──私は「Brazzier」が好きです。驚きなのは、フューチャーは40歳にして、半年で3枚のアルバムを1位にしていることです。それもストリート音楽で。ラップではありえないことです。以前、(プロデューサーの)ジミー・アイオヴィンに「40歳を過ぎてヒットを出すのは不可能だ」と言われたと話していましたよね。今や、ヒップホップにおける加齢にまつわる語りは変化しているように感じます。 ヒップホップ界でのいい年の取り方について最初に語った人物はプシャでした。彼は何年もそれについて話してきました。ジェイ・Zもうまく年を取りましたね。 ──一方でアンドレ3000は、ヒップホップ界でうまく年を取ることは不可能だと何年も語ってきました。 ええ、そう言ってきました。でも、彼も最高です。決めつけをする人は理解できていません。皆、彼に時間を与えるべきです。彼は必ず戻ってきますから。あの感覚からは逃れられないんです。彼は逃げません。無理にはやらないと言っているだけです。戻ってきたとき、彼はやる気満々ですよ。 ──音楽を作っているとき、若者の話題に手を伸ばしてしまうことはないでしょうか。流行に手を伸ばしてしまうことはありますか? いえ、私はトレンドには手を伸ばさないし、かつてやっていたことにも手を伸ばしません。ドキュメンタリーがトレンドでしたが、私はノーと言いました。 ──どういう意味ですか? というのも、6、7年前、私のとてもしつこいエージェントが(ドキュメンタリーをやりたいと)何度も言ってきたんです。私は「いや、誰が撮るかなんてどうでもいい。もう皆がやっている」と言いました。皆がやっていることはやりたくないんですよ。私を知ってるでしょう。皆が渋滞に巻き込まれているなら、自分は飛行機に乗りたい。 ──いくつものファッションショーであなたを見かけることができて、とてもクールでした。ほかのデザイナーのショーに行くのはなぜでしょう。また、そこから学んだことはありますか。 そうですね、コム(デ ギャルソン)のショーには必ず行きますよ。私はコムの信奉者ですから。川久保玲は別格。最近もサカイのショーに行きました。(阿部)千登勢のことは大好き。それに、ジョナサン・アンダーソンの大ファンでもあります。 ──彼の作品のどこに惹かれますか。 ジョナサン・アンダーソンは──過小評価されているというのもおかしいですね。皆知っていると思いますから。 ──ええ、皆その存在に気づきました。 ジョナサンは単刀直入を信条としています。彼は自分の主張をとてもシンプルにします。私にとって、その正反対にいるのが(川久保)玲。彼女のアイデアはとてもシンプルですが、デザインは複雑です。それにもちろん、キム(・ジョーンズ)とも友人です。キムは私がシャネルを去ったとき、最初に門戸を開いてくれた人です。 ──門戸を開いたというのはどういう意味でしょうか。「一緒に何かやろう」と? ええ、「何かやろう」とね。忘れられないことに、彼は私に全権を与えてくれました。結局ヴィトンに行くことになったから、実現はしませんでしたが。 ──同様にあなたも、今年タイラー・ザ・クリエイターとのコラボレーションのためにLVの門戸を開きました。一緒に仕事をしていて、最高の瞬間は何でしたか。 彼に電話で伝えたとき。彼はもう30代で、子どもに戻る機会は滅多にありません。この10年、彼はすごい人生を生きてきました。世界的なアーティストになるための成長痛です。だから、その瞬間がいちばんの思い出です。「ちょっと待て、俺に? マジで?」とね。彼は見事でした。私はただ横に立って、彼に任せただけです。 ──最近、ある人とちょっとしたファッションの会話をしていたら、こう言われました。「もうすぐファレルはヴィトンを去るだろう。彼はもうやり遂げたと感じているはずだ。またひとつの項目にチェックが入ったし、すぐに次のステップに進むだろう」 うわあ、その人はハイにでもなっていたんですか? ──それは不明です。 何か変なものを飲んだのかもしれませんね。わかります? それはおかしな話ですから。 ──そこに真実はありますか。やり遂げたことで、次に進む準備があるのでしょうか? まだやり遂げたとは思っていません。何かを“やっている”気はしますが、“やった”とは思えないからです。私たちは様々なものを解き放っています。システムの再構築です──私はシステム、戦略、構造を重視していますから。この3つが互いにうまく機能するようになると、シンプルさに辿り着けるんです。私は静かに仕事をするのが好きですから。進捗状況なんか報告せず、ただドカンと一発お見舞いするだけです。 PHARRELL WILLIAMS/1973年生まれ、米バージニア州出身。音楽プロデュース集団ザ・ネプチューンズで活動後、2006年にソロデビューを果たした。「Happy」「Get Lucky」といったメガヒット曲で、グラミー賞をこれまでに13回受賞。NIGO ʀと立ち上げたビリオネア・ボーイズ・クラブやアイスクリームに加え、数々のコラボレーションでファッションデザイナーとしても才能を開花させる。2023年、ルイ・ヴィトンのメンズ クリエイティブ・ディレクターに就任。