巨人はサウスポーが苦手…元コーチが打ち明ける、巨人が最も苦手とした「投手の名前」
能見のフォークボールの対処法について考えた
そうしたなか、巨人が当時、もっとも苦手としていたサウスポーがいた。阪神の能見篤史である。 能見は高校から社会人を経て、2004年のドラフト自由獲得枠で阪神に指名され入団。 デビューしてから数年は中継ぎでの起用が主だったが、2009年7月19日の巨人戦で9回を2安打無失点12奪三振で勝利投手になって以降は、先発で活躍し続けた。2011年には初の開幕投手を務め、5月3日の巨人戦での9回完投勝利によって、1979年に小林繁さんが達成した対巨人戦8連勝の記録に並び、まさに阪神の屋台骨を背負う奮闘を見せていた。 そして2012年シーズンも開幕投手を務めた能見は、4月6日の甲子園での巨人戦で澤村と投げ合い、9回を2安打2四球10奪三振で完封勝利を収め、文字通り「巨人キラー」となっていた。 能見がやっかいだったのは、ストレートとフォークボールの腕の振りが同じで、投球フォームにも欠点がなかったことだ。となれば、配球を読んで打つよりも、よりシンプルかつわかりやすい対策を立てるのがベターだと考えていた。 そこで私が編み出した対策は、「地蔵作戦」。ふざけているのではない。真剣な作戦である。 フォークボールは「ストレートだ」と思ってバットを振り始めたら、打者の手元でストンと落ちる球種である。それゆえにストレートとフォークボールを見極めようと思っても、見抜くのは容易なことではない。とくに能見は追い込んでからフォークボールを投げたときの精度が高く、ちょっとやそっとで見極められるような代物ではなかった。 能見を苦手としていた要因はほかにもあった。チームのなかで「見送り三振をするのはよくない」という考え方が浸透していた。見送っているだけでは何も起こらないから―というのが、見送り三振をよしとしない理由だった。 つまり、追い込まれてしまうと、「見逃し三振をしてはいけない」という意識が強く働いてしまうため、そこを阪神バッテリーにうまく突かれて抑えられていたというわけだ。 その結果、阪神バッテリーが巨人打線を2ストライクに追い込んだ時点で、勝負は阪神に有利に流れていたことになる。 そこで私はあえて能見の攻略法として、「ストライクゾーン低めギリギリに投げられたボールはすべて見送る」という策を徹底させようとした。つまり、地蔵のようにピクリとも動かないことで、「地蔵作戦」と命名したわけだ。 4月28日の東京ドームでの阪神戦の試合前、私が編み出した作戦を当時の村田真一ヘッドコーチに伝えると、「一度監督に伝えて確約をとってから選手に伝えるようにしてくれ」と言われたので、原監督に私の考えた能見対策を伝えた。 すると原監督は、「よし、それやってみよう」と快諾してくれた。
橋上 秀樹