「予備知識ゼロ」の人こそ最短距離で理解できる「はじめてのフッサール」…そもそも「ヨーロッパ哲学最大の難問」である「認識論」とは何なのか
自然科学では普遍認識が可能で、哲学では不可能?
さてしかし、普遍認識は存在しないというこの懐疑論─相対主義の主張には、ねじれた性格がある。というのは、一方でわれわれは、自然科学の領域では客観的な認識が生み出されていると見なしており、普遍認識は当然可能であるように思える。しかし一方で、人間や社会の領域では、つねに多様な見解、思想、学説が乱立し、つねに対立が生じていることを誰でも知っている。 たとえば、政治学、心理学、歴史学、経済学などの分野においては、つねに学説上の対立が存在し、科学の認識のような明白な一致が存在しない。なぜ自然科学で生じている客観(普遍)認識は、哲学の領域(人文領域)では生じないのか。 十九世紀以後、まさしく社会的な普遍認識の可能性を求める動機から、二つの認識論の運動が現われた。一つはオーギュスト・コントに発する実証主義的な社会科学の試み、もう一つはフレーゲ・ラッセルによる現代論理哲学である。 コントは、伝統的な近代哲学の方法を否定し、人文領域の認識も、自然科学の実証的方法を基礎として再建されるべきと主張した。コントのこの主張から、近代の社会科学、人文科学が出発したのである。 もう一つの現代論理学は、「認識」と「言語」がつねに一致するように論理学のルールを整備するという発想であり、一時、論理実証主義として盛んになった。 しかし両者の試みは半世紀を経て挫折した。社会科学も、論理実証主義も、人文領域における普遍認識の基礎方法を確立することはできなかった。 その理由は、いまではきわめて明らかである。この普遍認識の試みに対して、つねに、「主観と客観」また「存在と認識」のあいだの「厳密な一致」は証明されえない、という懐疑論、相対主義の反論が立ちはだかる。そして、誰もこれに対して決定的な反駁をなしえなかったからである。 二十世紀後半は、普遍認識を批判する相対主義哲学が哲学の主流となった。分析哲学とポストモダン思想がそれを代表する。 「多様性」は現代社会における象徴的キーワードだが、それは現代哲学(思想)における懐疑論─相対主義の思潮を反映している。つまり、絶対的(普遍的)認識は不可能であるだけでなく、危険でさえある、さまざまな考え方が存在することがむしろ健全であり望ましい、とそれは主張する。 しかし哲学的には、多様性が許容され尊重されるべきであるということと、認識は相対的であり、普遍認識はありえない、ということとはまったく別の問題である。 これをひとことでいえばこうなる。 人間の価値観は本性的に多様だが、民主主義的社会以外ではそれは許容されない(中世では異端は火あぶり)。そして、価値の多様性は、ただ「自由の相互承認」(ヘーゲル)を基礎とする「自由な市民社会」においてのみ可能となる。つまり、価値観の多様性は自由な市民社会でのみ可能であるという哲学原理は、まさしく普遍的な認識なのである。 ともあれ、認識問題の難問を解くカギは、自然の領域では普遍認識が成立するのに、人文領域ではなぜそれが不可能かという問題を「解明」することにある。 フッサールはこのことを明瞭に自覚していた。ここから「現象学的還元」の方法が構想されたのである。 さて、この方法の要諦を、たとえば、(1)「リンゴがあるから赤い、丸いが見える」という自然的見方から、(2)「赤い、丸いが見えるので、リンゴの存在の確信」が生じる、という哲学的視線への変更、として示すことができる。 自然科学の方法では、1の視線はなんら不都合でないが、人文領域の問いでは、1の視線は不都合である2の反転された現象学的視線が必須となるからだ。 「まえがき」で私はこれを、「事実の認識」と「本質の認識」の問いの違いとして整理した。哲学が中心主題とする「人文領域」の問い、「本質の認識」の領域では、存在→認識、つまり客観→主観という自然的な見方は無効であり、主観(経験)→「確信」の成立という現象学的な視線の変更が必須なのである。 こうして、フッサールがはじめて、認識問題を「主観─客観」の一致という認識の構図で考えることの誤りを明瞭に指摘した。