奈良山奥にポツンと巨大な「黒光りゴキブリ像」…会社視察、バスツアー、外国人で人口43人の過疎村が賑わうワケ
■奈良の山奥であの嫌われ者を偶像にしている寺 日常生活の中で、多くの人が毛嫌いする昆虫。それが、ゴキブリだ。その不快極まりないゴキブリを偶像にして弔う寺がある。20年以上前に、過疎の村に突如として出現した強烈な像は、いつしか地域の名物になり、外国人旅行者やアーティストの心を惹きつけてやまない存在になった。 【写真】護鬼佛理天像 その名も「護鬼佛理天(ゴキブリ天)」像は、奈良県上北山村の深い山中にある林泉寺に建立された。西には修験道の修行の場で知られる大峰山系、東は大台ヶ原の山々に囲まれた秘境である。上北山村は、かつて平家の末族が住み着いたことに始まると伝えられ、平家ゆかりの寺院が多数存在する。良質の木材を供給していたことから、江戸時代は将軍家の御用材所として栄えた。 戦後間もなく、熊野川の電源開発事業が始まり、この地域に4つのダムが建設されることになった。ダム工事に影響を受ける形で、1960(昭和35)年には人口3806人のピークを迎える。当時は林業も盛んであったが、近年は激しい人口の流出にあえぎ、2024(令和6)年10月現在では282世帯421人にまで減っている。 上北山村には4つの集落がある。その中でも最も人口の少ない白川という集落(旧白川村)に実際に足を運んでみると、ダム湖の斜面にひらけたわずかな土地に、28世帯43人(2020年国勢調査)の民家が点在していた。村内に商店の類は1軒もない。スーパーに行こうと思えば、車で1時間半ほどかかる街まで出ないといけないという。 白川集落は、高度成長期にダム(池原貯水池)の底に沈み、集団移転したムラである。池原貯水池はわが国屈指の多雨地帯、大台ヶ原を水源にして1965(昭和40)年に完成した。この時、9つの集落529戸が水没している。戦後の人口膨張と電力不足を背景にして、名もしれぬ山村が犠牲になったのである。 前置きが長くなったが、そんなダム湖と紀伊の山並みを背景にして、護鬼佛理天像は立つ。像高は166cm、重さ約1トン。ブロンズ製の現代アートである。2001(平成13)年に設置された。 デザインは、前衛的で風刺が効いている。ゴキブリの腹部には、近代的な都市が描かれている。つまり、「都市に寄生しているゴキブリ」の本来の立場を逆転させ、「ゴキブリに寄生している都市」にすることで、人間社会を皮肉ったのだ。 力士が力強く四股を踏んでいるようにも見える。その実、触覚の生えた頭部や背後からの造形は、ゴキブリそのもので、一見すると不快に思う人もいるかもしれない。だが不思議にも、雄大な大自然の風景に馴染んでいる。20年以上の年月を経て、しっとりとしたブロンズの質感になってきた。