桜木紫乃「60歳前後の夫婦には、次々と問題が降りかかってくる。これまで知らなかった夫の側面と向き合うことも」
◆書くことが辛い時期を乗り越えて 今回の本もそうですが、今は小説を書くことがとても楽しいです。正直な話、48歳のときに『ホテルローヤル』で直木賞を受賞してからの数年間はちょっと辛かった。直木賞をいただいた後、「今後はよりエンタメ要素を強くして書いていかないと、プロとして3年持ちませんよ」という言葉も聞こえてきて、ドキドキしているうちに書くことが苦しくなっちゃって。 「書きたい」という私はいったいどこに行っちゃったんだろう?って。表現したいことと腕とオーダーがぜんぶバラバラだった時期でした。デビュー前よりずっとつらかった。 頭が締め付けられるような日々が続いて、あるとき、「いいですもう、わたしずっと素人で!」って思ったんですよね。不思議ですねえ、腹をくくるってああいうことを言うのかも。長いトンネルを抜けた瞬間は、窓の外の景色がとてもきれいに見えたのを覚えています。 同郷のカルーセル麻紀さんをモデルにした『緋の河』を書くときに、「好きなものを書いてください」と編集者に言ってもらえたこともあり、少しずつ自分の筆が戻ってきました。どんな逆境にも負けず、きちんと自分を持って生きている麻紀さんの生き方に励まされたのかもしれません。 麻紀さんの人生に少しでも近づきたいと、両手の指に真っ赤なマニキュアを塗って『緋の河』を書いているうちにどんどん元気になってきて。マニキュアって、いいものですね。いつも目に入る部分に、元気の象徴があるって大事だなあって思う。今回の『谷から来た女』のヒロインも常に赤い色を身につけている設定にしたのは、赤は主張のあるいい色だと思うから。鮮やかな赤が似合う人は自分をきちんと持っている気がする。私はやっぱり、そういう人が好きなんでしょうね。
◆服と髪型を変えて、気分も明るく 54歳で『緋の河』を出版した翌年あたりに、着る服や髪の色がずいぶん変わりましたね、と言われることが多くなりました。編集者に呆れられるほど服装のセンスが悪かったらしいんですけれど、自分にとってはあれが精いっぱい。人前に出るときも、とりあえずよそ行きのジーンズにシャツかセーターを着て行けば大丈夫だろうと思っていました。 でも、あるとき、北海道で活躍する劇団主催者と対談した際に、「その年齢で、その恰好はどうかと思います」と言われたんです。「その服装では、相手に失礼ですよ」と、暗に教えてくださったのだと思います。それで、その方が紹介してくれたスタイリストさんを訪ねたところ、「まず、その髪型がダメ!」と。 札幌の大通にあるヘアサロンに行って、縛れて便利だった中途半端なセミロングをジャキッとやりました。白髪も増えていたので金で脱色してまぶしてみたら、気分もすっかり晴れやかに。今は明るい色じゃないと、なんだか落ち着かないくらいです。 髪の色とスタイルを変えたことで、これまで着られなかった鮮やかなグリーンやブルーなどの色の服も着られるようになりました。ちょうど更年期を抜けたあたりで明るい洋服を着るようになったおかげか、精神的にもスッキリ。 仕事のほうも、編集者から提案されたお題であっても、自分の好きな方向に回転させて、思う角度で書けるようになってきたので、書くことがますます好きになっているのだと思います。編集者に言われたことは、1回は飲み込むんですけれど、その上で自分の欲する「答え」を出せる視点を見つけられるようになったと思います。勘しかないんですけれど、勘っていいですよ、なにひとつ他人のせいじゃない。