「後出し」「分裂選挙」都知事選の歴史 早稲田塾講師・坂東太郎の時事用語
舛添要一都知事の辞任を受けての東京都知事選挙(7月14日告示、31日投開票)は現職が立候補しないので新人同士の戦いとなります。すでに自民党の小池百合子元防衛相が立候補を表明しました(告示8日前)。事前に自民党の東京都支部連合会(都連)へ何のあいさつもなかった上に立候補の記者会見で都連への敵意をむき出しにしています。都連は元総務相の増田寛也氏(前岩手県知事)に出馬要請し、参院選投開票日の10日に出馬宣言。保守分裂が確実となりました。 【図表】予算13兆円、職員16万人……東京都知事の権力と影響力 対する都議会野党はジャーナリストの鳥越俊太郎氏を統一候補にすると決め、12日(告示2日前)に発表しました。前回知事選では次点ながら約98万票を獲得し、今回も立候補を表明していた弁護士の宇都宮健児氏は、告示直前の13日夜になって出馬を撤回。野党候補の一本化がギリギリの段階で成立しました。 いずれにせよ小池氏の「後出し」ならぬ「先出し」で各陣営は大混乱。これまで最も短かった猪瀬直樹氏の「告示8日前」を大きく塗り替える「2日前」となってしまいました。周到な計算をした上での「後出し」ではないだけに今回ばかりは必ずしも有利とはいえなさそうです。
「後出しジャンケン」元祖は青島幸男氏
「先手必勝」という言葉があるように、本来「戦」とは早く名乗りを上げて準備万端整えた方が有利なはず。ところが東京都知事選で新顔が激突した過去4回をみると、最後に出馬表明した候補が勝利しています。次第に「後出しジャンケンが強い」という神話めいたジンクスとなり、今回の都知事選でも告示間際まで各陣営がかたずをのんで他陣営の様子をうかがっていました。 「後出しジャンケン」の元祖は、1995年知事選で勝った青島幸男氏です。当時、官僚トップの内閣官房副長官(事務)を長く務め、主要政党相乗りで推薦・支持した石原信雄氏が最有力とみられていました。元出雲市の「アイデア市長」で知られていた岩國哲人氏も手を挙げていました。 それを見越した青島氏は、告示13日前に突如「無党派」を旗印に立候補します。タレント、俳優、直木賞受賞作家、参議院議員など才気煥発で知名度は抜群。特に参院議員時代から実施していた「選挙活動をしない」という戦法も功を奏したようです。 ただ青島氏の当選は一般にはなじみの薄い石原氏が内閣官房副長官としての仕事が残っていて彼もまた告示16日前に立候補表明せざるを得なかったという、ラッキーな一面もありました。 青島都政が1期で終わった99年の知事選は石原慎太郎氏が告示の15日前に立候補を表明して勝利しました。