【光る君へ】藤原実資は“媚びない男” 三条天皇からどんなに頼られても距離を置いた
遅咲きながら極めた官位
結論を先に言えば、12月15日、三条天皇は道長に、翌年正月に譲位すると告げた。それより前、10月27日には道長を准摂政に任じ、事実上、政務を委譲している。その前日、三条天皇が翌日にくだす重要な決定を事前に告げ、道長に非があれば修正させる旨も伝えた相手は、やはり実資だった。 だが、実資は三条天皇にそれほど頼られながらも、たとえば、三条が娍子に産ませた13歳の女二宮(禎子内親王)を、道長の嫡男の頼通に降嫁させると言い出したときなど、長患いの末の思い付きだ、という趣旨の非難をしている。 『小右記』での歯に衣着せぬ発言で知られる実資、どこかの野党のようになんでも批判したり、「打倒」や「交代」を旗印にしたりするのと違って、実際、骨があったのである。 だから9歳年下の道長も、批判されながらも常に一目を置いた。こうして実資は、治安元年(1021)には右大臣になった。さらに長暦元年(1037)には従一位となり、臣下としての位階を極めた。そのときはもう80歳近く、永承元年(1046)、90歳で没している。この時代としては異例の長寿であったのは言うまでもない。 香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。 デイリー新潮編集部
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