【光る君へ】藤原実資は“媚びない男” 三条天皇からどんなに頼られても距離を置いた
三条天皇が実資に求めた意見
さて、三条天皇と、この天皇に一刻も早く譲位してもらいたい道長のあいだには、第42回で描かれたように「冷戦」が勃発していた。それだけに三条天皇は、道長ほどの権力者にも媚びない実資に頼ることになった。 すでに道長との激しい軋轢が生じていた三条天皇だったが、長和3年(1014)2月9日に内裏が焼けたのはこたえたようだった。結果、心労のために、片耳は聞こえず、片目は見えない、という状態になった。さらには3月12日、ふたたび宮中で火事が発生して、歴代の天皇が伝えてきた数万もの宝物が焼失してしまった。 この当時、火事の半分は放火だったとされる。三条天皇を精神的に追い詰めることになった火事にも、政治的背景があったのだろうか。それは知るよしもないが、道長は兄の道綱とともに、この宝物が失われた火事について、三条天皇に直々に「天道が主上(三条天皇)を責め奉ったのだ」と奏上したという。 天皇に対してあまりの物言いだが、このとき、三条天皇は実資に意見を求めている。そこで実資は、参内して奏上しようとしたのだが、道長がいたために、奏上はかなわなかったそうだ。結果として、三条天皇は実資の援護が得られないまま、道長から譲位するように責め立てられることになった。
三条天皇に頼られながらも批判する
道長にすれば、三条天皇は耳も聞こえず、目も見えないという病気で、政務に耐えられないのだから、譲位も致し方ないという理屈だろう。だが、三条天皇はたまらない。そうこうするうちに、「実資が、自分(註・実資)が雑事を申す(関白になる)ということを三条天皇に奏上させた」という噂が、道長の耳に入ったという。 三条天皇が実資を関白にするように、本当に画策したのかどうかはわからない。だが、火がないところに煙は立つまい。「関白」はともかくとしても、三条天皇がそれだけ、実資を厚遇していたということだろう。だから道長は、それが事実かどうか三条天皇に詰問し、6月26日にも同様に問い質している。 するとその翌日、三条天皇は実資に道長との応酬について説明したうえで、「万事を(実資に)相談することについて、心中に思っていることに変わりはない」と伝え、実資にもっとも親しみを感じている、などとも話している。ニュートラルな立ち居振る舞いで命脈を保ってきた実資としては、三条天皇に頼られて、うれしい反面、戸惑いもあったのではないだろうか。 しかし、その間も、三条天皇の眼病はよくならなかった。8月には、三条は資平に「近日、道長は頻りに譲位を促してくる」とぼやき、焼けたあと新造なった内裏に戻ってからも目がよくならなければ道長に従うしかない、と弱気を見せるようになった。そして、9月には眼病について秘密の勅命をくだした。その相手は実資だった。