“裁判官の会議”は「見られたら、とても恥ずかしい」… 現職の敏腕判事の“勇気ある発言”を待ち受けていた「運命」とは
形骸化している年2回の「定例の裁判官会議」
ちなみに、定例の裁判官会議は年2回で、毎年6月頃までと12月頃と、どの裁判所でも相場が決まっている。 しかし、この時期には何も重要な議題はないので、なおさら裁判官会議は形骸化し、審議事項としての議案が皆無ということも多い。所長の応急処置を報告する程度で終わってしまう。 この程度の会議に支部を含む全裁判官が参集しなければならないのだから、むしろ負担になっている。 実際には、新型コロナウイルス蔓延(まんえん)までは、全裁判官が一堂に集結する年数回以下の機会なので、晩まで待ってその時期に見合った名目の懇親会(歓迎会・忘年会・送別会)を開催することが多かった。新型コロナウイルス蔓延後は長らく、それさえも開催しなくなってしまった。
“コロナ禍”以後「無駄な会議」が激増中…
このような無意味な会議を開催する一方で、無駄な会議が新型コロナ蔓延後に激増中である。 設備が少ないため制約が多かったテレビ会議システムのみならずウェブ会議やズーム会議も利用できるようになったため、会議のための参集が不要となった。その反面として、交通費等の予算措置が不要となったので、実に気軽に新たな会議を立ち上げ、最高裁や高裁主催の会議を複数種類、毎月のように開催するようになった。 その多くは、審理方法の改善であるが、そう簡単に成果が出るものではない。 時間帯を日中に設定すれば貴重な開廷日が潰れる。また、夜間にすれば裁判所が他方で標榜している「ワーク・ライフ・バランス」と真っ向から矛盾する。 したがって、このような会議は極力設定すべきではないと思う。 このような会議も一応は「自由参加」の形を取っている。また、名古屋地裁から「津と岐阜は大変だろうから、名古屋が出席して議事録メモを送ってあげる」と大変有難いご配慮をいただいた。 しかし、それを真に受けて、裁判を優先して一度だけ欠席したら、「津はなぜ参加しないのか」という「天の声」がどこかから降りて来て、結局は毎回参加せざるを得なくなった。 要するに、「裁判をしない裁判官」が裁判自体や裁判官の私生活の邪魔をしているようなものである。しかし、こうした会議を一生懸命に開催することがどうも評価されるようだ。