「時代は変わる。挑戦者を応援したい」 かつて大リーグ投手を目指した投資会社社長、地域と地球のために
不動産事業やホテル事業に投資し、経営管理する投資会社「ストライダーズ」(東京都港区、東証スタンダード市場)。2018年、34歳の若さで父から会社を継いだ早川良太郎社長は、かつて大リーグを目指してアメリカの大学で投手として活躍した異色の経歴を持つ。野球の道を離れ、オリックスで6年間、ビジネスマンとしてキャリアを積んだ早川社長に、ストライダーズ入社後の軌跡と、今後の展開を聞いた。 【動画】専門家に聞く「事業承継はチャンスだ。」
◆アジアを主戦場に捉えて
―2014年のストライダーズ入社後、経営企画部長になり、どんな仕事をしましたか。 当時はタイ、インドネシア、台湾、スリランカなど東南~南アジアの国の企業と連携しようとしていました。 タイでは広告代理店に資本参加をしました。 広告代理店は色々なスポンサーと関係を築いているので、地場企業とのネットワークが広がりました。 スリランカは30年の内戦が終わった時期でした。 これから「平和の配当」で大きく伸びていく可能性がある国だと考え、観光業から始めて、将来は生産拠点として日本企業とも様々な連携ができるのではないかと模索しました。 ―当時の社長は、実父の良一氏でした。役割分担だったのですか。 数年間は、父のビジネスのやり方を学ぶ時期でした。 経営企画部長として情報収集したり、事前の調査をしたりしながら、徐々に商談もするようになりました。 自身がゼロから始めたのが、台湾のプロジェクトです。 当社のグループ会社に「モバイルリンク」というトラック用の車載端末システムを販売する会社がありました。 その車載端末を台湾で作り、日本で売るプロジェクトです。 台湾の財閥企業との連携だったので、互いにカルチャーが違う環境下で、台湾での製造から日本での販売までを一気通貫に展開していく戦略でした。 結果的には失敗してしまいましたが、多くのことを学びました。
◆スローガンは「挑戦者達と共に闊歩する」
―社長就任後、意識的に企業風土を変えようとした狙いを教えてください。 今までの会社の歩みは、ずっと銀行員だった父が社長になり、M&Aの仲介をやりながら再生ビジネスを進めてきました。 ある程度、株価の割安なところに投資をし、再生した上で、高い収益化を目指すという事業体でした。 もちろん私もその事業は継続するのですが、日本の社会がより成長するための可能性を見つけたいと考えています。 そのためには、成長する企業や挑戦する人たちをもっと応援をしなければいけません。 そうした理念をしっかり構築しようと思い、社長就任後に「Stride With Challengers」というコーポレート・スローガンをつくりました。 「挑戦者達と共に闊歩する」という意味です。 挑戦者が増えないと、世の中は豊かになりませんし、様々な社会課題も解決できません。 挑戦を体現する企業文化をつくりたいと強く思っています。 時代はどんどん変わります。 価値観も常にアップデートされていきます。 より公平に透明化することは必須のキーワードの一つです。 株主の方は当然大事なのですが、今の時代は、社員や一緒にビジネスをしているビジネスパートナー、地域の方々、もっというと地球をまるごと大事に考えないといけない時代です。 そんな時代背景の変化がコーポレート・スローガンには反映されています。 ―そうした取り組みに、父親から異論は出ませんでしたか。 父は、私が考えていることには賛同し、応援しています。 私の社長1年目は父と共同代表でしたが、2年目に父は代表取締役から降りましたので、自分の色を鮮明に出すようにしました。 ―どのような思いで、社長として決断されますか。 何をするにしてもリスクがありますが、リスクをテイクしていこうと考えています。 アメリカへの野球留学もそうですが、色々なリスクがある中で困難を乗り越えていきたいというのが、基本的な考え方です。 当然恐れや不安、プレッシャーはありますが、それらを一つの糧として、乗り越えていこうと決断しています。 ―誰かに相談されるのですか。 プレッシャーを感じたり、不安に思ったりした時は、仲間に話を聞いてもらいます。 大学時代はチームメートがいましたし、今は仲間が社員だったり、外部の友人経営者だったりしますが、彼らに話を聞いてもらい、一人でプレッシャーを負わないようなメンタルづくりはしています。 昔から私のことを知っている仲間が「良太郎は様々なチャレンジをしてきて、こういった人生を歩んできたのだから、今回も新たなチャレンジを乗り越えていけるんじゃないか」と背中をポンと押してくれたのだと思います。