「枯れては咲く」住み継ぐことのできる街へ 高蔵寺ニュータウンの今(下)
人口減少時代に突入した愛知県春日井市の「高蔵寺ニュータウン」の現状をリポートする後編です。 親だけが残された…かつての“あこがれ” 高蔵寺ニュータウンの今(上)
「リベラル」な街が「守り」に
今年、高蔵寺ニュータウンを舞台にした映画が全国公開されました。タイトルは『人生フルーツ』。日本住宅公団の設計者として高蔵寺の計画に携わった建築家、津端修一さんの晩年を追った東海テレビ製作のドキュメンタリーです。 津端さんは自然と共生するニュータウン計画を理想としましたが、経済優先の時代の波には抗えず、里山を切り開いて画一的な団地をつくってしまった自らの仕事を反省。高蔵寺の戸建てエリアに土地を買って平屋の家を建て、妻の英子さんと雑木林を育て始めました。美しく淡々とした映像と、津端さん夫妻のほのぼのとして深いメッセージが反響を呼び、ミニシアターなどではアンコール上映もされています。 「いい映画だったけれど、あれで高蔵寺に住もうと思う人はあまりいないんじゃないかな…」。 こう評したのは、ニュータウンに住む寺島靖夫さん。やはり現状の高蔵寺が「反省」されるほど否定的に描かれているのがひっかかるようです。 1968年の街開き当初からの住民である寺島さんは、まだ舗装もされていない「どろんこ道」を住民同士で何とかしようと協力し合ったときから街を知っています。自治会もやる気があって、夏祭りも盛り上がりました。そして何より、時代の先端を行く暮らしをしようと集まった人たちの「リベラルな雰囲気があった」と振り返ります。 しかし、今はそれが逆方向に作用して、問題解決を難しくしているのだと言うのです。 「昔からの住民がすっかり『守り』に入ってしまった。何か暮らしに問題があっても、自分は大丈夫だからと声を上げず、引きこもってしまう。自治会の役員も新しいなり手がいなくて形骸化。住民の安否確認など、真っ先にやるべき課題には目を向けない。何とかしないと、この街は一気にバタっといってしまいそうだ」。 こうした危機感を持つ住民は少なくありませんでした。そこで2008年に住民有志で結成されたのが「高蔵寺ニュータウン再生市民会議」、通称「どんぐりs」です。