「暗闇のなか、ひたすら走り続けた」サッカー元日本代表・細貝萌が味わった“地獄”「リハビリで午前3時になることも」「自分との戦いでした」
暗闇のなか、ひたすら走り続けた
開幕から5試合続けて先発出場を果たしたものの、それ以降はベンチに回る。ゴールデンウイークを過ぎてからはベンチからも外れるようになり、出番は一切なくなった。 地獄だった。 「足を痛めながらも出ていた前年と、23年のシーズン頭のころとどちらのパフォーマンスが良かったかと聞かれたら前年のほうだなって感じます。振り返れば、いろいろな要因はあったかなと思います。本来はこういうプレーをやるべきだろうなと思いながら周りを活かそうと思うあまり、結局自分のところでミスをしてしまったり……。(出られなくなって)何より申し訳なかったのはサポーター。群馬のために帰ってきたと言っておきながら、試合に出られないわけですから」 ピッチに戻るために、細貝は己を追い込んだ。ナイターでのホームゲームの場合、試合後にクラブハウスに向かった。夜10時過ぎに到着してからグラウンド3週、約1000mの距離を10本走った。ライトもつけず、暗闇のなか、音楽を聴きながらひたすら走り続けた。 「これが効果的かとか効率的かと言われたら、分かりません。コンディション的にどうかっていうより自分の精神的な部分と戦っていましたよね。自分との戦いでした」 試合での負荷がない以上、体に染み込ませなければならなかった。試合の後に、細貝だけの試合が待っていた。プレーする責任をまっとうするために。時計の針が12時を回っても、細貝の姿はグラウンドにあった。
手応えを得ても、チャンスは来ない
2024年シーズンに入っても状況は変わらなかった。外から見れば“干された”状況と言ってもおかしくはない。ただ、誰からも説明はなかった。普通ならサジを投げてもおかしくない状況。それでも細貝はピッチに戻ることを信じて、コンディションをつくった。 「コンディションが凄くいいなって感じる時期も当然あります。プレーする感覚もいいし、これなら試合で貢献できるって手応えを得ても、チャンスは来ない。そのときが一番つらかったなとは思います」 彼は恩師ヨス・ルフカイが去ったヘルタ・ベルリン時代に“飼い殺し状態”にされ、ストレス性発疹で入院したことがある。ストレスと極限まで戦うと、その信号が発疹となってあらわれる。ザスパでも赤い斑点が広がる自分の手を眺めながら、いつか必ずピッチに戻ると言い聞かせてきた。
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