「暗闇のなか、ひたすら走り続けた」サッカー元日本代表・細貝萌が味わった“地獄”「リハビリで午前3時になることも」「自分との戦いでした」
イエロー覚悟で強くいったら…
強くて、冷たい風。 2021年5月にタイのバンコク・ユナイテッドを退団し、ザスパに逆オファーをしてその年の9月に群馬に戻ってきた。翌2022年シーズン、キャプテンに就任すると開幕3戦目の3月6日、アウェー、ベガルタ仙台戦でアクシデントが起こる。 スライディングでボールを奪いに向かった際、芝に足が引っ掛かって途中交代を余儀なくされ、「左足関節脱臼骨折」で全治6カ月と診断された。ザスパのために、さあこれからというところでの大ケガであった。 「(その時間まで)チームがあまりうまくいってなくて、ここは(流れを変えるためにも)イエロー覚悟で強くいかなきゃと思っていったら、引っ掛かってしまって。だからプレー自体に後悔はなかったです」 細貝はいつも万全の準備をして臨む。足にテーピングを巻く前にストレッチボードに乗り、青竹を踏むルーティンを欠かさない。それでもケガをしたのだから、気持ちをすぐに切り替えることができる。受傷から2日後に手術を施し、早期復帰を目指していく。
リハビリで午前3時になることも
彼のリハビリは、凄まじい。その一言に尽きる。朝6時から約1時間の水素吸入から始まり、午前はリハビリ施設で理学療法を受け、午後はチームでトレーニングのメニューをこなす。実はリハビリの過程でグロインペイン症候群を発症していた。プレートが入った足首は腫れ、可動域が狭くなった分、体のバランスに影響が出て鼠径部に痛みを覚えるようになっていた。夜、東京に出てグロインペインの治療がサイクルに追加され、群馬の自宅に戻ると0時を回ることもしばしば。ナイトゲームの場合は、スタンドで試合を見届けてからクラブハウスに移動して電気治療、アイスバス、超音波治療などを施すため、自宅に戻ると午前3時になることもあったという。睡眠時間を削ってでも、一切の妥協を許さなかった。 「本当に申し訳なかったのは、付き合ってくれたチームのマネージャーがスタッフルームでPCを前に寝ているんですよ。そこからは早めに帰るようにしなきゃって」 細貝の執念が実り、7月10日のFC町田ゼルビア戦に途中出場してわずか4カ月で復帰を果たす。以降、最終節までずっとスタメンを張ることになるが、ケガとの戦いはずっと続いていた。 「グロインペインのほうは落ち着いていましたが、足首のほうは大変でした。プレートが入っているので折れないとは言われていたので安心はしていました。ただ、痛み止めを飲んで試合に出ても、終わった後は凄く腫れる。その日はアイシングして翌日も治療に充てて、オフ明けのトレーニングも、まだ痛くて途中から別メニューになるパターンが多かったですね」 痛みと戦いながらシーズンを何とか乗り切った。ただチームは浮上することなく降格圏スレスレの20位。細貝もその責任を感じていた。 そして次の2023年シーズン、彼に吹きつける風はあまりに強烈だった。
【関連記事】
- 【続きを読む/#2】予想を超える打診に「正直びっくりしました」細貝萌(38歳)は引退後、なぜJ3クラブの社長兼GMを受け入れたのか?「俺がやるしかないって思えた」
- 【続きを読む/#3】「本田圭佑、長友佑都たちに置いていかれたなって…」細貝萌(38歳)が引退後に初めて明かすザッケローニ監督との会話「逃げかけていた自分がいた」
- 【写真】「や、ヤンチャそう…」肩までロン毛の若き細貝…引退後いきなり社長就任の38歳細貝のカッコいい現在の姿も一気に見る!
- 【あわせて読みたい】サッカー人生で一番の試練を越えて。 細貝萌、タイで感じる充実と喜び。
- 【秘話】引退を伝えると親友・細貝萌は泣いた…イランなど7カ国でプレーした赤星貴文が激動の半生を語る<妻とはポーランドで出会う>