「お金を持っていない」と思って生きることにしていますーーベストセラー漫画家になった、矢部太郎の人生観
ベストセラー漫画家となったカラテカ・矢部太郎。人々が抱くイメージも“華奢で地味なコンビ芸人”から、“才能豊かな文化人”へと変化し、新たなファン層を広げている。年収も格段にアップしたはずだが、暮らしぶりは以前とほとんど変わらないという。築年数が古い賃貸マンションで、ベランダ園芸に癒やされながら漫画を描く、シンプルな日々。天狗にならない矢部太郎の生き方に見いだす、「人生における成功の法則」とは。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
もともと安定したいっていう気持ちがない
初めて描いた漫画『大家さんと僕』が大ヒットし、シリーズのセールスは累計120万部を超えた。「お笑い芸人・漫画家」が現在の肩書きという矢部だが、最近はどのように日常を送っているのだろう。 「時間的に今は、芸人としての活動よりも、漫画を描いているほうが長いですね。でも、芸人だから、僕の漫画も皆さんに読んでもらえるんだと思うんです。芸人をやめて漫画家になった、とは思っていません」 そもそも矢部は、東京学芸大学教育学部に進学したインテリだ。語学も堪能で、気象予報士の資格も取得している。さらに漫画でも成功を収めた、そんなマルチな才能の持ち主が、芸人であり続ける理由とは、何なのだろう。そう問うと、矢部は言葉を選びながら、訥々(とつとつ)と答えた。
「うーん。これは、僕が芸人についてどう考えているか、ということでもあるんですけど。漫才やコントをする、その瞬間だけが芸人というわけではなくて、その哲学や生き方が、芸人だと思っているんです。お笑いだけではなく、俳優としての仕事をさせてもらうこともあるなかで、それぞれが別のものではなくて、すべてが続いている、そこに漫画もあるんですよね。若い頃、バラエティー番組で『語学を習得して現地の人を笑わせる』という企画をやって、勉強することに成功体験を得ました。気象予報士の試験も、それで受かるだろうな、というイメージができて、仕事を広げていくためにプラスになるんじゃないかなと」 進学した大学は単位不足で除籍となった。浮き沈みの激しい芸能活動の中で、大学に戻って教員免許を取るなど、安定した仕事に就くことは考えなかったのか。 「先生に……在学中は考えたこともありましたが、でも、除籍ですからね。もともと安定したいっていう気持ちがない。これは絵本作家だった父(やべみつのり)の影響が大きいです。父がずっと家で絵を描いていたので、いわゆる一般的な職業、サラリーマンとか、そういう生き方があんまり見えなかったんです。父は絵本だけじゃなくて、紙芝居も多く作っていて、パフォーマンスと一緒に見せてくれていました。芸人と漫画家というルーツは、そこにあるかもしれないですね」