「義母から執拗ないじめ」日本初のお天気お姉さん・今井登茂子(87)の苦悩と原動力「社会でも理不尽な思いを経験し」
今井さん:当時は男性の司会者の横でニッコリ微笑んで相づちを打つことが、女性アナウンサーに求められている役割でした。でも、私はそんなタイプじゃないから、つい気の利いたひと言を返そうとしちゃう。それが目障りだったのでしょう。番組を何度も降ろされました。でも、だんだん「あいつはひとりでやらせとけばいい仕事する」と言われ、いろんなインタビューに行かせてもらえるようになったんです。なかでも忘れられないのが、大相撲の第47代横綱・柏戸を支度部屋でインタビューしたときのことです。
── 大相撲の支度部屋に女性アナウンサーが入るのって…。 今井さん:初めてでしょうね。支度部屋は力士たちが着替える場所でもあるので、みんな素っ裸。大柄な裸の男たちに囲まれ、しかも、取材相手の柏戸があまりに素敵だったので、思わずボーッとなっちゃって(笑)。当の柏戸も、まさか女性が来るとは思わなかったのでしょう。お互い、沈黙すると気恥ずかしいものだから、必死にしゃべったんです。でも、ふだんすごく無口な柏戸がたくさん取材に答えてくれたものだから、「今井さんはインタビューが上手い」と評判に。なんてことはない、しゃべらないと気まずい雰囲気だっただけなんです(笑)。
■「スクープ映像」を撮ったのに上司から怒られた訳 ── 新人時代からディープな経験を(笑)。 今井さん:入社2か月目には、こんな貴重な経験もしました。スポーツ中継の自主練をしようと、仕事帰りに国立競技場の神宮のプールで競技会の様子を見学していたら、偶然、目の前で女子背泳ぎの田中聡子選手(1960年のローマオリンピック女子100m背泳ぎの銅 メダリスト)が、日本記録を出したんです。 あわてて、当時の録音機“デンスケ”で、つたないながらも必死にレポート。デンスケは15分しか持たないから、何度もつないで録音しました。さらに、興奮気味の田中選手を更衣室まで追っかけ、話を聞くことに成功。その後、話を聞きつけた各局の記者がどんどん集まりだし、ようやくお立ち台ができて会見がスタートしました。ところが、ここからが大変で…。