【オードリー・ヘプバーンの生涯】長男・ショーンが語った「内なる強さ」と「求めていたもの」
約40年に及んだそのキャリアのなかで、オードリーが出演した映画はわずか27本。いずれも一度は観るべき作品であり、その多くは3回、4回、あるいはそれ以上観てもなお、初めて観たときの新鮮さを失うことがありません。 オードリーの死からちょうど10年目となる2003年、『タウン&カントリー』誌は彼女に最も近い存在だった長男のショーン・ヘプバーン・ファーラーから、その人柄や、ともに歩んだ人生の思い出について話を聞いていました。生前のオードリーについて、彼女を巡るいくつかの事実とともに振り返ります。
長男・ショーン・ファーラーが振り返る母・オードリー
1人目の夫、メルとの間に生まれた長男のショーン。彼は母・オードリーとの日々をこのように振り返ります。 「母は私にとって、母親である前に親友でした……かなり優れた俳優であるとわかったのは、もっと後のことです。子どものころから常にパパラッチが身近にいましたが、それにも慣れていました。 ……母は控えめな女性でした。彼女を“考える俳優”と呼んでいたハンク(ヘンリー)・フォンダや、グレッグ(グレゴリー)・ペックなどに対し、畏敬の念を持っていました。母が“考える”俳優だったのかどうかわかりませんが、“感じ取る”俳優だったとは思います。 母にとって、演じるというのは自然なことでした。強さを感じさせる優しい声だったことも、助けになっていたでしょう。話し方で、本気でそう言っていることがわかる人でもありました」 写真:夫のメルとともに、生まれたばかりのショーンを抱くオードリー、1960年撮影
「母は相手が誰でも、その人の最も良いところを引き出せる人でした。例えば、人が集まる場所に母と一緒にいるとき、不作法に振る舞う人を見たことがなく、“越えてはいけない境界線”の存在を、常に意識させてくれる人でした。イギリスのエリザベス皇太后に面会したとき、皇太后が母について、『私たちと同じ』とつぶやいたことを覚えています。 母には、優しさと同じだけの強さがありました。鉄の腕にベルベットの手袋をしているような――。自分自身を、自ら作り上げた人でした。祖父が母と祖母のもとを去ったのは、母がまだ幼いときでした。母には、異なるさまざまな面がありましたが、それらは母が自分自身で築いたものです……私たち息子に求めるものも、明確に示す人でした」 写真:息子のショーンとともに劇場を訪れたオードリー、1970年頃撮影