食堂経営からスキー場経営へ スノーリゾート界の風雲児 ー株式会社マックアース
けれど、いざ始まると風向きは違ってきた。「色んな側面から支援をしてもらえるわけですよ。雇用の部分で来てくれる人もいれば、業者さんとして協力してくれる人もいる。すごくいい人達なんですよ、滋賀県のマキノの皆さんは。最初はカヤックも『湖を勝手に使えると思うなよ』みたいなこと言われたりしていたのが、どんどん協力してくれて、すごく助けてもらったんですよね」。真摯な経営は、マキノの人々にも認められたのだ。 5年経った時だ。ホテルから一番近いところに位置する国境スキー場が閉鎖の危機に陥っていることを聞かされた。ホテルからは約8キロ、バスで約10分の距離。冬はこのスキー場を利用した修学旅行のプランをいくつも催行させてきた。 「だから閉まると困っちゃうな、もう一つ近くの函館山でやるかな、くらいに考えていたんです。すると地元の皆さんが『お前の会社でやれよ』と。それで、『閉めるくらいだったらウチにやらせてください』というところでスタートしたんです」。 こうして一ノ本氏はスキー産業に足を踏み入れた。2008年、国境スキー場を買収。マックアース社初のスキー場となった。 ■異常だったスキーブーム 若者がこぞってスキーに熱中していたバブル期を、一ノ本氏は「クレイジーでしたね」と表現する。「もう、スキー行こうなんていうと絶好のお泊りデートですよね。『どっか泊まりに行こうぜ』って言うとやらしいですけど、『スキーに行こう』って言うと全然やらしくないんですよ。恋愛的要素がデカかったと思いますねぇ」。 宿でも「一般客の受け付けは9月1日に台帳開けるんですけど、その日のうちに年末年始の予約は埋まりましたもん」という状態だった。デートに誘うきっかけにもなれば、ゲレンデやバスツアーでの出会いもあった。そしてまた、「上手くないと格好悪いので、みんなコッソリ練習に来てたなぁ」と“陰練”に励む男子達もスキー人口増加の一助を担っていた。「私をスキーに連れてって」の世界、そのままだったのだ。あれだけ異常さを極めたスキーブームには、若者の恋愛事情が大きく関わっていたと、一ノ本氏は振り返る。 もちろんブームが去ってからも継続しているスキーヤーもいる。「今のスキーヤーはストイックですよね。純粋にスポーツを楽しんでますから」と一ノ本氏。「やる人が増えると裾野が広がってピラミッドが作られます。今はピラミッドの底がなくなっちゃって、上だけ残ったような感じですね」。ブーム時にピラミッドの上部を構成していた「スキーを一生懸命やる人達」がそのまま続けているのだという。