食堂経営からスキー場経営へ スノーリゾート界の風雲児 ー株式会社マックアース
バブル崩壊とともに、経営難に陥っている各地のスキー場。大規模開発によって作り出されたリゾートスキー場でさえ、不振にあえいでいる。そんな中、決してスキー産業が盛んとはいえない兵庫県から飛び出した株式会社マックアースは飛ぶ鳥を落とす勢いで、成長を続けている。兵庫県のハチ北高原の一宿舎からスタートした同社は、2代目の“異端児、”一ノ本社長の経営方針のもと、経営難のスキー場を傘下におさめ、現在全国に27のスキー場を経営している。その躍進を続けるマックアースの原点、その背景にある思いとは。 斜陽産業を再生へ スキー場を甦らせた経営戦略とは 1980年代後半。時はバブル絶頂期。冬の週末ともなると若者達はスキー板を担ぎ、キャスターバッグをコロコロ引いて、こぞってスキー場に出かけた。誰もが映画「私をスキーに連れてって」の主人公になった気分だった。 週休二日制の一般化やスキー用品の低価格化、高速道路や新幹線、またはスキー臨時列車など交通網の整備。スキーがブームになる要因が揃っていた。1993年に記録した1,860万人というピークに向かって、スキー人口の増加はどんどん加速していった。 ところが、バブルが崩壊。それに加えて暖冬傾向による雪不足が続く。2000年台前半には、スキー人口は800万人を割り、閉鎖を余儀なくされたスキー場も少なくなかった。また不況の影響で、国内のスキー用品メーカーの事業撤退も相次いでいった。 2000年代後半になって減少の度合いは緩やかにはなったものの、スキーヤーの中心は中高年。若者のスキー離れは顕著だ。 そんなスキー産業の危機に救世主として現れたのが、株式会社マックアース代表取締役CEO、一ノ本達己氏だ。閉鎖寸前のスキー場を見事に再生させるなど、現在、全国27のスキー場を傘下に収める、スノーリゾート界の風雲児だ。斜陽産業と言われるスキー場経営だが、マックアース社が持つスキー場は、今冬も連日大繁盛している。一ノ本氏は何故スキー場経営に乗り出したのか。それには一ノ本氏自身のヒストリーが大きく関わっていた。