なんと、生還したのは「たったの1艦」…海上封鎖を突破して、ドイツから呉に戻ったイ8潜水艦。戦後「アメリカが驚愕」した「日本の独自技術」
戦後にアメリカを驚かせたもの
いずれの潜水艦も、往路はドイツで枯渇していた天然資源(生ゴム、錫、タングステンなど)を満載してドイツに届け、復路ではドイツの戦略兵器、特に最新型レーダーや高性能エンジンなどを持ち帰ろうとしました。しかし、それらの多くは、潜水艦ごと海の藻屑と消えてしまうのです。 日本本土まで無事に帰還できた唯一の潜水艦「イ8」は、ダイムラー・ベンツ高速艇発動機や水中聴音機などの輸送に成功します。その積み荷リストの中に、「標準海水(5アンプル)」とあるのが目にとまりました。 標準海水とは、海水の塩分計測の基準となる国際標準物質です。 海水の動きが、海水の密度によって決められていることは『インド洋』(1-7節や1-8節)でも紹介したとおりです。海水の密度を算出するには、海水の温度と塩分を知る必要があります。その塩分を正確に分析するのに、標準海水が欠かせないのです。長期の観測航海に出るときには、ぼくらも必ず、標準海水を何十本と船に積み込みます。 標準海水は、20世紀初頭からデンマークのコペンハーゲンで一括して作成され、世界中の海洋学者に販売・配布されていました。しかし、1940年にデンマークがドイツ軍に蹂躙されて以後は、その入手が難しくなりました。 日本の海洋学者たちは、戦時中も海洋観測を絶やさないために、日本独自の標準海水を、小笠原近海の表面海水を用いて作成していました。あくまで想像ですが、この「和製標準海水」を正確に検定するために、上述の標準海水(5アンプル)が活用されたのではないでしょうか。 和製標準海水はたいへん優れた品質を示し、戦後になって、アメリカの研究者を驚かせることになります。大戦中も我が国の海洋科学研究が脈々と続けられた要因の一つが、インド洋を隠密裡に渡ってきた貴重な標準海水にあったのかもしれません。 【参考文献】 石川美邦(2011)『横浜港ドイツ軍艦燃ゆ』光人社NF文庫宇田道隆(1955)『世界海洋探検史』河出書房新延明・佐藤仁志(1997)『消えた潜水艦イ52』日本放送出版協会野満隆治(1931)『海洋學』日本評論社三宅泰雄(1941)東京―父島―硫黄島(標準海水採水記)、『海洋の科学』、1(3)、41-47吉村昭(1976)『深海の使者』文春文庫和達清夫(監修)(1987)『海洋大事典』東京堂出版 蒲生俊敬さんによる大好評の海洋科学シリーズ インド洋 日本の気候を支配する謎の大海 インド洋を抜きにして、地球を語ることはできない! 大陸移動から気候変動、生命の起源まで。驚きと謎に満ちた「第三の大洋」の全貌を解き明かす。 太平洋 日本海
蒲生 俊敬(東京大学名誉教授)
【関連記事】
- 【インド洋・驚愕の災害】インド洋の反対側まで届いた「クラカタウ火山」の噴火音がスゴすぎる…「北海道で起きた噴火が沖縄で聞こえる!」より、まだ遠い…
- 【こちらも】明治日本をも震撼させた「クラカタウ火山の大部分が消滅」の大ニュース…消滅後の海に現れた「子供島」の成長と、その後の姿
- 【船の科学】船は中に「水」が入れば、いとも簡単に「転覆」する…「損傷」しても沈まない「国際基準」は「タイタニック」がきっかけという驚きの事実
- 【忘れられない事故…】「タイタニック号 沈没現場ツアー」の「潜水艇事故」は、じつは起こるべくして起こったといえるワケ
- 数千トンの船を支える「浮力」は“気温”や“塩分濃度”にも影響されていた!…船体に何本も“線”が書かれる「納得の理由」