ソ連崩壊後、政党ではなく「TV討論会で大統領を選ぶ」ようになったアメリカ国民
政党の色が曖昧に
これまで「共和党」と「民主党」にはたいへんわかりやすい対照的な争点がありました。 ・ 保守(右派) vs 革新(左派) ・ 小さな政府 vs 大きな政府 ・ 自由市場 vs 規制市場 ・ 自由貿易 vs 保護貿易 ・ 富裕層重視 vs 労働者重視 ...などなど。 そのため国民もその時代に適した政党を選びやすく、それがこれまでの二大政党制の"理想"を支えてきました。 ここに至るまでのアメリカ合衆国の国策を振り返ってみると、「イギリス覇権(パックス・ブリタニカ)」が確立していた18~19世紀は「中立主義(18世紀)」「モンロー主義(19世紀)」を貫いていたアメリカ合衆国でしたが、20世紀に入ってイギリスの力が弱まると、これに付け入ってイギリスと覇を争うようになり、20世紀後半はイギリスに代わってソ連と覇を争ってきました。 ところがついに1991年、「敵失(ソ連滅亡)」となったことで、アメリカ合衆国が夢にまで見た「アメリカ覇権(パックス・アメリカーナ)」を実現したとき、「共和党」「民主党」のどちらが政権を握ろうが、両党の目的は「国際秩序の維持」となり、その差異が曖昧になってきます。 そうなれば、国民としては「共和党」だろうが「民主党」だろうがどちらでもよくなり、たとえばTV討論会で大統領候補が「腕時計をチラ見した」だの「何度も溜め息を吐いた」だの、ほんとうに些細なつまらぬことで、まるでヤジロベエのように支持がグラグラと揺れ動くようになっていきます。
クリントン政権の外交・内政
「経済再建」に重きを置く選挙活動に尽力して大統領官邸の主となったクリントンですが、彼とて"歴史という大河に浮かぶ一葉の木の葉"にすぎず、歴史の流れに逆らうことはできません。 権利と義務は表裏一体、ソ連解体後「アメリカ覇権」を手に入れたアメリカ合衆国には自動的に「国際秩序の維持」という義務が発生します。 当時は各地で紛争が起こっており、クリントンの好むと好まざるとにかかわらず、「覇者」たるアメリカ合衆国の責務として国際問題を放置することはできません。 まず、中東では燻りつづけるパレスティナ問題に介入し、93年にはイスラエルとPLO(パレスティナ解放機構)の「オスロ合意(※8)」をアメリカ合衆国が仲介するという形で成立させ、これを踏台に「パレスティナ暫定自治協定」を成立させます。 東南アジアでは「ヴェトナム戦争」以来敵対していたヴェトナム政権との和解を進め、その象徴として95年、「国交恢復(かいふく)」を実現。東欧では91年以来の「ユーゴスラヴィア解体」の中で収まらぬ紛争問題に和平を仲介したり、他にも、アフリカの「ソマリア内戦」「ルワンダ内戦」、北朝鮮の核開発疑惑などに対処 ── などなど。 北米大陸では前政権(ブッシュ父)が調印までこぎつけながら、なかなか批准に至らず難産していた「北米自由貿易協定(NAFTA ※9)」を成立させています。 本来であれば民主党は「大きな政府」「保護貿易」を旨としているはずですから、共和党が創ろうとしていた「自由貿易協定」など握りつぶす立場であったにもかかわらず。こうしたところにも、共和党と民主党の政策の違いが曖昧になってきていることがわかります。 もちろん経済にも力を注ぎ、国内では永らく苦しんでいた「双子の赤字」を解消すべく尽力し、29年ぶり(※10)に財政収支を黒字に転換させることに成功しています。 [注釈] (※8)イスラエルとPLOが相互承認し合い、和平に向けての交渉を始めることに合意したもの。 (※9)北米3ヶ国(カナダ・アメリカ・メキシコ)が結んだ自由貿易協定。 (※10)とはいえ、アメリカは1958年以来ずっと財政赤字がつづいており、その40年間のうち財政黒字だったのは1969年の1年だけだったので、ほとんど「40年ぶり」のようなものですが。