「安田猛はノーサイン、松岡弘にはいい音が出るミット」名捕手・大矢明彦氏が語ったヤクルト両エースの生かし方と“魔術師” 三原脩監督に教わったプロとしての生き方
1年目から正捕手に抜擢 別所監督の慧眼
大矢氏が入団した1970年、ヤクルトの監督は別所毅彦氏だった。現役時代は南海(現・ソフトバンク)、巨人で剛腕ピッチャーとして活躍し、通算310勝を積み上げた名投手だ。 大矢: 僕、別所さんにすごい恩義があるって言っていいと思うんです。1年目の6月半ばくらいから使っていただきましたから。 徳光: 1年目で。すごいですね。 失礼ですけど、ドラフト7位をポンと抜擢するっていうのは、キャッチャーとしては珍しいですよね。 大矢: だと思いますね。僕、ファームのゲームも1試合しか出てなかったんですよ。 徳光: 別所さんも慧眼ですね。キャッチャーの場合は本当にないケースですもんね。 大矢: はい。ないと思います。すごく運が良かったですよね。ほかのチームに行ってたら、こんなふうに試合に出られなかったかもしれないですし。 大矢氏はプロ1年目の1970年、93試合に出場し打率2割0分4厘、6本塁打、27打点の成績を残した。
“魔術師”三原脩監督の教え
大矢氏のプロ入団2年目にヤクルトの監督に就任したのは三原脩氏。巨人、西鉄、大洋、近鉄、ヤクルトの監督を歴任し、卓越した選手起用と名采配で“魔術師”の異名をとった伝説の名監督だ。 徳光: 三原監督は勉強になったでしょうね。 大矢: 僕はプロ野球を一番、三原さんに教わりましたね。キャッチャーとしてどうあるべきだとか、プロ野球選手の生き方とか、そういうのはほとんど三原さんでした。 三原監督になってからは、「打たなくてもいい」ってよく言われましたね。「打たなくてもいいから、とにかくピッチャーを引っ張って、いいキャッチャーになるように」って。 バッティング練習をさせてもらわず、レフトポールからライトポールまで三原さんが歩いて、いろんな話をされるんですよ、 徳光: 「俺に付いてこい」って。 大矢: そうです。ずっと話を聞いてる。 「お前、球場に入ったらまず何をする。外野のセンターの旗を見るか。風がどっちから吹いてる。日はどっちから当たってるんだ」。そういうところから話が始まっていくんです。 それで、「試合が始まったときに、外野にいるお客さんはどんな動きをしてるか。自分がサインを出すときに、望遠鏡持ってるやつが動いてるかどうか見てるか」。 大矢: よく言われたのは、「3連打されたら、サインが見られてると思え」って。 徳光: えっ、どういうことですか。 大矢: サインを解読されてる。だから、「サインを変えろ」って言われました。
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