このままでは「日本は失われた40年」へ突入する
なぜ、日本経済は停滞を続けているのか。それは、いわゆる「失われた30年」を総括せず、放置しているからだ。 ■日本の「失われた30年」はすべて「バブル」のせい 過去の失敗を分析して原因を明らかにすることをせず、ただ反省をしたふりを続けているからだ。 21世紀初頭には過去を「失われた10年」と呼び、それが「失われた20年」、そして今では「失われた30年」と名称を変え、分析も改善案も議論せずにいる。 政治家や官僚、あるいはどこにも存在しない誰か他人のせいにして、日本自虐論で、「やっぱり日本はだめだ」と、したり顔で言うメディア、有識者、政治家、そして近年では経営者たちも加わり、日本に愛想をつかすことが、自分がそのダメな日本とは違う人間、企業である、というアイデンティティの主張となっている。自分だけは違う「日本人」「日本企業」だというわけだ。
2025年、日本経済に必要なのは、「失われた30年」と彼らが呼ぶ現象の総括だ。誰もやらないのであれば、私がやろう。 「失われた30年」とはなんだったのか。そして、どうしてそうなったのか。すべては「バブル」のせいなのである。 ここで言う「バブル」とは、抽象的な「バブル」ではなく、「1980年代の日本経済・日本社会のバブル」という特定の具体的なバブルのことである。これがすべての原因であり、そこからの脱却をせずにむしろ、そのバブルを懐かしみ、復活させようとしてきたことが「失われた30年」をもたらしたのである。
この話は、20年前に、私が日本経済新聞の「経済教室」にすでに書いていた(「企業統治の新地平」(下、2004年5月20日)。つまり、「失われた30年」になることは、「失われた10年」の時点でわかっていたのである。少し長くなるが、引用してみよう。 ■「右肩上がり」が「ガバナンスなしの効率経営」を可能に <(1950年代以降)製品市場の競争だけが企業経営を規律付けるメカニズムであった……。日本企業では、株主だけでなくすべてのガバナンスメカニズムが機能していなかった…(中略)。それでは、高度成長など、戦後の日本企業の大成功はどう説明するのか。筆者は、高度成長という「右上がり経済システム」が、ガバナンスなしで企業経営が効率的に行われることを可能にした、と考えている。右上がり経済においては、企業のすべての利害関係者にとって、十分に収益の上がる将来が存在するため、長期的成長を目指すことが望ましい。経営陣も従業員も、企業の成長にすべてをかけた。(中略)株主、債権者である銀行、政府の利害も一致した。私はこれを「右上がりガバナンス」と呼んでいる。