松本幸四郎「『伊賀越道中双六・沼津』開幕1時間前に大役・十兵衛を任されて。無観客で再び十兵衛を演じた際には、父と特別な時間を過ごせた」
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第32回は歌舞伎役者、俳優の松本幸四郎さん。2018年に高麗屋の名跡を襲名、十代目松本幸四郎として活躍を続けている。松本金太郎としての初舞台から、辿ってきた道のりとは――。 【写真】2018年1月、三代襲名の口上にて。右から父・二代目白鸚、十代目幸四郎、長男・八代目染五郎 * * * * * * * ◆コロナ禍で得た父との特別な時間 2018年1月、またしても高麗屋ご一家の三代襲名の慶事に立ち会うことになった。父・幸四郎は二代目白鸚に、ご自身が十代目幸四郎に、そして長男の金太郎が八代目染五郎を継ぐ。これは役者にとって身の引き締まる大イベントだから、やはり第3の転機か。 ――名前が変わると演技がどんなふうに変わったかって観に来るお客様もいらして。でも名前が変わっただけで芸が大きくなるのなら、もう毎日襲名したいと思いますよ。(笑) 染五郎だった時代のものがちゃんと僕にあって、父が名前を譲るという決断をしたんでしょうし、それまでと変わらずに舞台に立ち続けるということが大事かな、と思います。 幸四郎になったからもうあんまり冒険的な役はできないよね、なんて言われますけど、やっぱりやるべきだと思ったら変わらずやりますからね。
襲名翌年の9月、叔父に当たる中村吉右衛門が『伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)』「沼津」の呉服屋十兵衛役をつとめていて途中休演になった時、それまでまったく十兵衛の経験のない幸四郎さんが突然の代役を見事に果たした。これなども名前替えによる自覚の賜物か、と大きな話題を呼んだが。 ――あれは自分でも、そんな勇気がどこにあったんだ、と今は思います。開幕1時間前に急に言われて、2時間の芝居の、それもまだまったく演じたことのない大役を代わったんですからね。 まぁ以前、新橋演舞場で孫八という役で出て叔父の十兵衛をつぶさに見ていたことはありましたので、できませんとは言えないし、もう気持ちを切り替えて集中しました。 衣裳も鬘も叔父のもの。叔父にはどっしりした印象があって、僕には衣裳がブカブカかと思ったらそうでもなくて、いつのまにか僕も育っていたんだな、と複雑な思いでした。(笑) その後、父・白鸚の平作(十兵衛の実父で老人の雲助)で十兵衛を演じることになったんですが、この時はコロナ禍で劇場が閉鎖になって、舞台稽古の際に配信用に一度だけ、本番通りの舞台をつとめました。 誰もいない客席を父と二人で愛嬌を振りまきながら歩くんですが、かえって芝居に集中できたし、あれは父との特別な時間でしたね。 この十兵衛役は、代役の3日間と、無観客で1日。でもようやく今年4月のこんぴら歌舞伎金丸座で、初役でやらせていただきましたのでね、だから「沼津」というのは僕にとってすごく特別なお芝居になりましたね。 やっぱり襲名が第3の転機になるのかなぁ。
【関連記事】
- 【前編】松本幸四郎「初めて出た歌舞伎以外の芝居『ハムレット』は、14歳で訪れた転機だった。18歳で初海外公演、自分を見つめ直すきっかけに」
- 現代劇の女方・篠井英介「舞台上演1ヵ月前に、著作権者から中止の通達が。9年かけてようやく上演できた『欲望という名の電車』。今後もやっぱりブランチをやりたい」
- 歌舞伎役者の初代中村萬壽が語る、三代襲名への思い「時蔵の名を汚さぬようつとめた43年。萬壽の名は平安時代の元号から。孫の初舞台と一緒に譲ることを思い立って」
- 長塚京三「ちょっと毛色の変わった学部にと、衝動的に選んだ早稲田大演劇科。どこか遠くに行きたいとパリ留学へ。そこで映画出演の話が舞いこんで」
- 吉田鋼太郎「『おっさんずラブ』は戸惑いはあったものの、演じていて非常に面白い作品だった。今3歳の娘の花嫁姿を見るまでは、とにかく頑張りたい」