2018年「オリジン・オブ・恐竜」(下):恐竜大進化は“絶滅”から始まった
多様化のための「切り札」とは
このCPEの期間に起きた絶滅イベントは、ペルム紀後半と三畳紀末にそれぞれ起きた「大絶滅」の間に、ちょうど時代的に挟まれるようにして起こった。規模としては二つの大絶滅の方が格段に大きかった。そのため三畳紀後期の初め頃に起きたCPEの絶滅イベントは、それほど広く知られていないかもしれない。 しかし今回の研究者たちはこのCPEにまつわる絶滅こそが、恐竜が遂げた最初の多様化のカギだったと提案している。 CPEによる一連の気候の大変化と絶滅は、イタリアだけでなく世界規模で起きた可能性を様々な研究者が指摘している。例えば先述したRuffell等(2016 )は、六大陸全てからのデータにおいてこのパターンを確認している。 そして恐竜の最初の多様化も、アフリカのタンザニアや南米のアルゼンチン等「世界各地」からの化石と岩石のデータにおいて確認されたと、Bernardi等(2018 )は述べている。 あえて断るまでもないだろう。一連のデータはCPEという環境の激変、絶滅イベント、そして初期恐竜の多様化 ── この3点セットが「グローバル規模」で起きたことを示している。 三畳紀後期のはじめに起きた絶滅の後に現れたぽっかりと空いた内陸地のスペースとニッチに、初期の恐竜達がうまいこと目をつけた。そしてこうした機会を利用しておこった初期進化がその後の大躍進につながっていったというストーリー(仮説)は、論理的に筋が通っているように私には映る。おそらく今後はこのプロセスのより詳細な道筋を解明すべく、更なる証拠探しが世界各地の三畳紀の地層において行われるはずだ。 しかしこの興味深いストーリーにおいて、(のどに刺さった小魚の骨のように)どうしても気になってしょうがない疑問が一つ私の胸の中に浮かんでくる。 三畳紀の中期から後期において、どうして恐竜だけが後の飛躍的な爆発的な進化上の成功を収めるための「切り札」を、手に入れることができたのだろうか? ほぼ同じ時代に、実は現在の哺乳類やワニ類・カメ類などの直接の祖先と考えられる種も出現している。しかし(ご存じのように)こうした現在においても進化の営みを脈々と継続しているグループは、三畳紀の間に恐竜と共に多様化を遂げることはなかった。哺乳類の多様化は白亜紀後期から新生代に入るまで待たなければならなかった。 恐竜達はただ単に「運が良かった」だけなのだろうか? 他のグループは初期恐竜との競争にスタート時点で、すでに遅れをとっていたのだろうか? その後の長大な中生代を通したレースにおいて、勝者の顔ぶれは火を見るよりも明らかだ(恐竜達だった)。 しかし鳥類を除く全ての恐竜グループは約6600万年前の白亜紀末までに滅んだ。そしてその後を待ち構えていたかのように、哺乳類は現在に至るまで華々しく生を謳歌している。 絶滅の後に新たな生物グループが出現し、多様化を短期間のうちに遂げる。この展開は水戸黄門のTVドラマのようなもの。生物史における「お決まりのストーリー展開」の一つだ。我々は繰り返しこうした現象を化石記録において知ることができる。 しかしこうした多様化のトレンドに乗り遅れたモノ、またはもう少し後の時代まで待っていた(または待たされていた?)グループも多数いる。このような違いは果たしてどのようにして起こったのだろうか? もし恐竜たちがこの「大躍進という切り札」をもう少し後 ── 例えば白亜紀末 ── まで使うことを辛抱強く待っていたら。もしかするとティラノサウルスやトリケラトプスが今の時代に、アフリカのサバンナやオーストラリアの荒野の中を、大迫力で歩いている可能性はなかっただろうか。 恐竜のオリジン(起源)に関する最新研究を目にしながら、このような情景が私の脳裏をよぎった。